大井川通信

大井川あたりの事ども

『鮎川信夫詩集』 現代詩文庫 1968

久しぶりに詩を読む読書会に参加。

鮎川信夫は、荒地の有名詩人だが、若い時にそれほど熱心に読んではいなかったので、いい機会だと思って通読する。

ただ、結局、自分にとって特別に好きな一篇を見つけることができなかった。その特別な一篇を見つけられたら、その一篇を通路として、かろうじて詩人の世界に入っていくことができる。何度かその詩を繰り返し読むことで、自分の感性をその詩の言葉と一体化させて、自分と詩人との共有の場所をつくることができるからだ。

そうでなかったら、詩集は、詩人の身勝手で恣意的な言葉の断片の集積のままにとどまることになる。そんなものが「わかる」はずはないのだ。

このことに気づいてから、詩集を読むのだだいぶ楽になった気がする。わかるはずだ、わからない方がおかしいということでなく、むしろわかることが特別な出来事だと思えるようになったからだ。

というわけで、若いころと同じように、今でも鮎川信夫と僕の間にかかる「橋」を見つけることはできなかった。読書会の参加者たちも同じような感じで、好きな詩を選ぶのにとまどっているのが伝わってきた。この橋のかけにくさには、時代的な事情が関わっているのかもしれない。

戦後詩のオピニオンリーダーで評論家でもあった鮎川の詩は、時代の文脈の中に取りこまれており、それを踏まえずに読むことが難しいのだ。「橋上の人」や「アメリカ」は、その中で面白く読めた作品だが、文脈抜きで、純粋に言葉としての圧倒的な魅力があるかというと、そこまではない気がした。