大井川通信

大井川あたりの事ども

安部さんを弔う(二つの謎)

安部さんの家族葬に参列できなかったのは仕方がないと思っていたし、そもそも本人が亡くなった後の儀式というものに特別に意義を感じてこなかったところもある。

ただ葬儀には本人の遺体に別れを告げ、その人をめぐる人々とあらためて顔を合わせることで、気持ちの整理をつける効果はある。入院中ずっと会えなかった安部さんへの思いが残ってやるせない感じが続いた。

それで、追悼文を書いて公開することで、自分なりに安部さんの死に向き合おうと考えた。これで少し区切りがついた。共通の知人だった美術家の外田さんが連絡をくれて、久しぶりに話すことができたのも有り難かった。

つぎに、安部さんとの勉強会を引き継ぐ吉田さんとの会で、安部さんをテーマにとりあげようと思った。おおげさに「安部文範論集成」と銘打ったレジュメを作ったが、今までブログに書いてきた小文をまとめただけのものである。

吉田さんとは、安部さんについて繰り返し語り合ってきたのだが、追悼の会で気合が入ったためか、今まで気づかなかったことで新たに腑に落ちたことがあった。

安部さんについて、僕には謎といえるものが二つある。

安部さんは、東京での学生時代、同人誌に参加し、のちに小説を自費出版しているが、美術や映画について特別な修練を積んだわけではない。それが、40歳頃福岡に帰省した後、90年代の福岡で、現代美術や映画の専門家として書く場が与えられ、そこで十分な実績を残すことができたのだ。単なるファンでありアマチュアである立場からの飛躍を可能にしたものが何なのか。これが一つめの謎だ。

90年代後半に、安部さんはある当事者グループに参加し、僕はそこで彼に会うことになるのだが、そのグループの場と思想に安部さんは尋常でないくらいののめり込み方をしていた。しかもその場で表明される安部さんの思想は、傍目にも素朴すぎるもので、結果的にその「純粋さ」のためにグループを離れることになる。

繊細な趣味人である安部さんの内面に、一見稚拙とも思える素朴な思想が同居していること。これが二つ目の謎である。

この二つの謎について、新たな発見があったのだ。