大井川通信

大井川あたりの事ども

『経済学の宇宙』 岩井克人 2015

野口悠紀雄の自分史を絡めた経済の本がとても面白かったものだから、似たような本を読もうと思って本棚から取り出した本。

経済学者にして思想家である岩井克人(1947-)のインタビューをもとにした本だが、相当の加筆修正とていねいな編集が施されて500頁近い大著になっている。読みやすいが読みごたえは十分で、期待以上に面白かった。

野口本との比較でいえば、同じ経済を扱っていても、実践的なエコノミスト理論経済学者との住む世界の違いに目をみはる。この本には、生の経済的な事象はほとんど顔を出さずに、経済理論や経済思想や学者たちが主役をはっている。

著者は、自分の生い立ちから、学者としての成功や挫折の悲哀を、有名経済学者や文化人との交流をからめて赤裸々にすぎるくらいに語っていて、べらぼうに面白い。門外漢には、サミュエルソン加藤周一との深い交流は意外だった。柄谷行人との出会いや別れのエピソードなど、柄谷ファンにはうれしいところだ。

おなじみの岩井理論である「不均衡動学」「資本主義論」「貨幣論」「法人論」等が、著者の人生の紆余曲折と理論的関心の帰趨の中にていねいに位置付けられて、予備知識の乏しい読者にもわかるように一から説明されている。

以前から岩井の書くものは、明晰すぎてあっけなく思えるほどシンプルだと感じてきたが、この本では、理論的背景としての自分史すらも徹底的に明晰な視線にさらされているようだ。学者として稀有の書物という気がする。

ところで、気障な言い方だが、つくづく読書とはおのれを知ることだと思う。岩井の理論的な説明に対して、関心が途切れたり、知的な興奮を失ったりすることは全くなかった。僕自身の乏しい教養やささやかな知的関心の在庫目録の中心がどこにあるのか思い知った気がする。背伸びをして、小説などについて書いても、それはしょせん付け焼刃なのだ。

岩井は、80年代に経済学から距離を置いて日本の文化人たちと文壇バーなどに出入りした時期を、自分の「第二の青春」と回想する。僕は、その頃の彼の姿を一度だけ見かけたことがある。1988年、雑誌「季刊思潮」の発刊を記念して、柄谷や市川浩ら編集同人の講演会が行われた。待ち時間に、会場の草月会館の前でぶらぶらしていると、前から大柄で学者らしいいい顔立ちの男が歩いてくる。岩井克人とすぐに気づいた。