大井川通信

大井川あたりの事ども

『「現金給付」の経済学』 井上智洋 2021

何か月も読みかけのまま手元に置いていたが、ようやく読了。世の中が不景気で先が見えなくなると、経済の議論がさかんになる。もう30年前以上になるが、冷戦終結バブル崩壊の時がそうだった。ちょうど公務員試験の勉強で、経済の科目を一通り勉強したばかりだったこともあって、経済に関する本をまとめて読んだりした。

その時気づいたのは、経済学というのは仮定をもとにした議論が多く、数学等の理論で着飾ってはいるが、神学論争みたいなものであまりあてにならないということだった。その仮定というのも、人は皆合理的に行動するとか、市場のみが合理的に資源配分するとかいった、きわめて独断的なものだ。だから、違う仮定を採用するとまるで正反対の結論になるので、対立する流派が、まるでお前はわかっていないという風にののしりあうことになる。

近ごろネットの動画で経済論壇の状況を垣間見ると、今でもまるで同じことしているのがわかる。お互いに経済学のいろはがわかっていないと批判しあうが、それぞれがいろはレベルで対立しあう単純な仮定のどちらかを無条件に信奉しているというわけで、およそ知性的ではない。

近ごろ威勢がいいのが、積極財政論者たちで、国はいくら借金をしても自国の通貨を発行して支払えばいいのだから、どんどん借金してお金を配って問題ないと主張する。新種の経済理論や政治党派でよくこの考えを聞くが、たしかにちょっと耳新しい。

この主張の流れにいる著者は、この極論を支える論点についてこんなことをいう。「この点については、未だに多くの経済学者が勘違いしているし、私も最近までしっかりわかっていなかった」と。

さすが経済学、という感じだ。専門家の大多数が平気で簡単な勘違いしていると主張し、自分もそうだったというわけだ。客観的にみれば、少数派である著者もまた別の「勘違い」をしている可能性が高いと思われるが、その可能性を少しも考慮する気配はなく、自信満々に自説に基づく政策の提言をしている。

そもそも貨幣の存在自体が謎だし、国際化し複雑化した金融経済の実態は摩訶不思議でわかりにくい。それを単純な処方箋で制御できると考えるのが間違っているのだろう。どの説も多かれ少なかれ的外れな部分を持っているというところではないのか。

とりあえず、世の中うまい話はないし、理想主義的な社会の設計は弊害が大きいという常識論が大切である気がする。経済学脳による人間理解は浅すぎるのだ。

この本は、前半は読みあぐねたものの、後半部分で今の社会に対する若い著者の本音が出ていて面白かったし、好感が持てる部分もあった。