大井川通信

大井川あたりの事ども

東大寺南大門の悲しみ

東大寺南大門の前には、たくさんの観光客がごったがえしていた。修学旅行生とともに、外国人旅行者が目立つ。以前は、ここまでの喧騒はなかったはずだ。しかし南大門は、相変わらず、鎌倉時代以来の風雪を身にまとったまま、喧騒のなかを、すっくと立ち尽くしていた。

南大門には悲しみのようなものを感じる、と建築史家の中川武さんは書いている。僕は、悲しみという表現に強く共感する。しかし、その感情は、どこからくるのだろうか。

南大門は、大仏様という宋からの新様式で建てられている。もう一方の新様式である禅宗様が広く受け入れられたのに対して、大仏様は導入に力のあった重源の死後、数少ない遺構を残してすたれてしまった。建築史の中で、孤塁を守る姿が、悲しみの主因なのはまちがいない。

大仏様は、長大の木材を縦横に組み合わせた、奔放で武骨な建築様式だ。今では、合理的で斬新なデザインということになり、現代の建築家の評価はたかい。しかし当時の日本建築の主流からみると、繊細さや優美さに欠け、なにより意味ありげな神秘性を持たないのだ。

門の下から見上げると、巨大な柱をつなぐ横材が、はしごのように屋根のすぐ裏まで駆け上がっている。あけすけで、すべてをさらしている。両脇の仁王の巨像も、古材の林立する空間にひっそりと溶け込んでいる。武骨なおのれをさらけだして、なおも立ち尽くす姿が、悲しいのだ。

800年の時間の中で、南大門をとりまく環境は、驚くほど様相をかえてきたはずだ。ここ何年かの外国人旅行者の急増も、エピソードの一つに過ぎないだろう。常に注目を浴びながらも、時代を超えて孤独に立ち続ける姿が、また悲しいのだろう。

僕は、25歳の時、中川さんの本を片手に、九州から東京まで、あちこちの古建築に立ち寄りながら車を走らせたことがある。京都から奈良にむかう途中の温泉施設に一泊して、未明の東大寺の門前に車をとめ、南大門を見上げながら夜明けをむかえた。朝日を浴びる南大門の姿は、一期一会のものとして記憶に刻まれている。