大井川通信

大井川あたりの事ども

覚苑寺本堂 山口県下関市(禅宗様建築ノート11)

禅宗には、江戸時代に遅れて伝えられた黄檗(おうばく)宗という宗派がある。それとともに黄檗様という新しい建築様式が中国の明から伝えられた。禅宗様は鎌倉時代に中国の宋から伝えられた様式だから、そこには400年をこえる時代差がある。

専門的な研究はまた別にあるだろうが、素人の肌感覚で次の事が言えるように思う。中国建築直輸入の雰囲気がとくに細部のデザインに現れている。また、江戸時代の建築だから、全体のプロポーションに対する意識は低く、どこかぎこちなく不格好に見える。同じく江戸期の建築だから文化財指定の比率が低く、地域差はあるだろうが無名の黄檗様建築は意外と多く残されている。

ならば素人の禅宗様建築好きからは、黄檗建築はどう見えるのか。プロポーションの良さが禅宗様の魅力の大きな部分を占めるので、その部分では不満足だ。ただ、構造や細部には禅宗様との共通点が多いのでその比較は面白い。また、遺構が多いのは、観察の機会も増えるし発見の楽しみもある。

覚苑寺(かくおんじ)本堂は、功山寺仏殿と出会った頃の僕が、同じく下関の長府で見つけた「掘り出し物」だった。当時は寺も寂れた感じで、本堂の文化財指定もなく、軒も下がって波を打っているような状態だった。ただ、正面の一間の柱が吹き放ちとなり、土間仏殿の内部空間が減柱造りとなるなど禅宗様(黄檗様)の特徴を備えているのが僕にもわかった。

今回久しぶりに訪れると、新しい山門が作られるなど境内が整備されている。もともと寺格は高かったようだし、地域の観光資源となっているようだ。うれしいことに本堂が明らかに修理されていて、市指定文化財として立面図の入った専門的な説明板も立てられている。

方三間もこし付禅宗様仏堂としては大柄な部類に入る本堂は、軒の出も伸びやかで全体のプロポーションはスッキリしていて悪くない。ただ、組物などの細部は簡略で禅宗様らしい繊細さを感じることはできない。正面から内部を拝観できるのはありがたいが、黄檗様らしく角柱が並び立ち、装飾の少ない虹梁(こうりょう:横材)が頭上に走る堂内はどこか武骨で、味わいには欠ける。しかしこれらはないものねだりだ。江戸後期のシンプルで骨太の黄檗様仏殿といっていいだろう。

1794年に近隣の別の黄檗宗寺院で建立され、そこが廃寺になったため1875年(明治8年)に移築されたという説明がある。僕には特別な縁のある建物だ。あと200年くらいは生き残って、国の文化財指定を受けるくらいになってほしいと、受付のお寺に人に軽口をたたいた。