本当に久しぶりに、理系分野の入門書を読んだ。光文社新書の一冊。
子どもの頃は、文系、理系などの垣根を感じていなかったから、ブルーバックスなど科学の入門書をよく手に取っていた。とくに「相対性理論」にはあこがれて、なんとか理解したいと思っていたが、知り合いの理科の教師にそんな話をすると、今の子どもたちには科学理論にあこがれる気持ちなどもはやないらしい。
アポロ計画の時代だったので、宇宙や天文学には当然のように興味をもって、その分野の図鑑や入門書も読み漁り、天体望遠鏡を手に入れて、天体観測のまね事などをした。小学校の高学年の時には、友人たちといっしょに「天文クラブ」を学校の課内クラブとして作ったりもした。
そんなわけで、天文学者による最新の宇宙論は、難しい理屈はわからなくとも、十分に楽しむことができた。結論からいうと、宇宙には「無限」も「ゼロ」も「永遠」もないことになる。この結論にいたる理論は大胆で、想像を絶するようなイメージをもっているのだが、結論はやや竜頭蛇尾というか平凡だ。
宇宙というものの存在に「無限」や「ゼロ」や「永遠」が存在するかどうか問題にしていながら、最終的には人間の理論(認識能力)においては、それはとらえられない、という結論に戻っているような気がするのだ。一方、著者は、人間が「無限」と「ゼロ」や「永遠」に対して日常的にそれらをついつい求め、あこがれる存在であることは認めている。
「無限」と「有限」は、日ごろ清澤満之の宗教理論に親しんでいる僕には、なじみ深い概念だ。無限と有限が向き合う場面に(だけ)宗教特有の問題が生じる。もし最新の宇宙論で無限の存在が明らかになるなら、もはや宗教の役割などないだろう。本書の結論は平凡だが、それは揺るがせにできない、とても大切な当り前さという気がする。