大井川通信

大井川あたりの事ども

御神木と杜人

老人ホーム「ひさの」のコノミさんから誘われて、休日の朝、大社に行く。メールだけで事情はよくわからなかったのだが『杜人』の矢野智徳さんが来られるというので行ってみた。

大社の御神木が、ここにきて急速に枯れてしまった。それを知った近隣の方が、見かねて矢野さんに連絡をとったようだ。大社からの直接の依頼ではないが、許可をとって前日に御神木の状態をチェックして、大社の担当者にアドバイスをするという場を作ったようで、そこに居合わせることができた。

矢野さんの語りは映画の印象と同じで、派手さはなく、じゅんじゅんと真実を説くといった風だ。大地に生きる木々のためには、水の循環とともに空気(風)の循環が大切だ。地中に空気が流れず、有機ガスがたまると根の呼吸が弱まり、水を吸えなくなる。そのために幹が割れ樹勢が衰えて、虫害を招くという。

説明を受ければ素人にも納得のいく、まっとうなことを語っている。地中、地表の空気の循環を改善し、樹齢550年の御神木本体の生きる力を回復させれば、病気を押し返すことができるはずだ。

一方、大社の担当者から、「ナラ枯れ」という言葉が出た。僕は初めて聞く言葉だが、後で調べると、全国のブナ類の樹木で被害が広がっているらしい。昆虫が媒介する菌類が木を枯らすのだという。僕も、松林を管理する施設で、松枯れの対策を身近に体験したことがあるが、それは、原因を特定し、それを薬剤等により、少しでも侵された樹木とともに徹底駆除するというものだ。そのうえで抵抗力の強い改良種と植え替えていく。

自然を完全に操作可能なものとして行う科学的な対策が主流だから、付き合いのある業者や公共機関とのやり取りを通じて、担当者の頭に既存のナラ枯れ対策のイメージがあるならば、杜人の考えは、やや迂遠に聞こえてしまうのかもしれない。

それともう一つ。大きな神社はあきらかに会社組織(官僚組織)となっている。従来の取引業者の関係も配慮されるだろうし、一担当者では新しい選択を行う上での責任を取り切れないということもある。トップに通じるならそれも可能かもしれないが、組織として御神木(自然)に対する特別な生きた哲学がない限り、目先の損得を度外視した判断はできないだろう。

翌日、コノミさんからいただいたメールを見ると、どうやらアドバイスが実を結ぶ可能性は低そうだ。残念ではあるけれども。