大井川通信

大井川あたりの事ども

煩悩を焼き尽くせ!(大社編)

翌日、早朝から真夏の大井川歩きに出かける。ファミレス楽ちん読書を禁じ手にして、自分に試練を与えるためだ。熊鈴、笛、杖を用意して里山に入ろうかと思ったが、雑草と高低差を恐れて、平坦なコースで宗像大社に向かう。

それでも直線距離で片道4キロの道のりだ。大井では秀円寺の参道で、ひっくり返ったカブトムシのメスを見つける。和歌神社の境内の神木が切り払われて、それまで多く発生していたカブトムシが姿を消した。しかしどこかで命脈をつないでいるのだろう。うれしい。

不意に上空に現れるトビやアオサギの大きさに、いまさらながら驚く。飛竜のようだ。黒い十字架のようなシルエットのカワウは、戦闘機みたいでかっこいい。

いろいろな種類のトンボが、風の中を泳ぐように浮かび飛んでいる。コロナ感染で酸素吸入でかろうじて生きていたとき、空気によって生かされていることを意識した。杜人の矢野さんからは地表地中の空気の循環を意識することを学んだ。歩きつつ、空気に浸されていることを意識する。

街道では、3年前にオニグモがいた場所で、電線から足元の雑草につながる大きな巣を見つける。ここでも命がつながっているのか。この街道は、個人的には諸星街道と呼んでいるが、今朝はちょうど諸星大二郎デザインのTシャツだ。

大社に着くと、気になる神木のナラを見に行く。立ち入り禁止の面積が増えていて、枯れた葉がクシャクシャになってしまっている。あきれたことに、神木の説明掲示板が撤去されている。作業の邪魔になるとかの理由はつけているだろうが、実際には神木を枯らしたことや切除作業をすることの体裁の悪さを隠しているとしか思えない。

もし神木の最期が近いなら、なおさらその名を消してはいけないし、それが信仰というものだろう。心配そうに見つめるご婦人がいたので、僕もそんな不満を伝える。

帰り道は、日差しが強くなったので、日傘をさすが、それでもジリジリと焼かれながらふらふらになって帰ってくる。老害や慢心、邪心、怠け心が焼き尽くされますように。