人知れず書き続けているブログだが、ブログ内の注目記事欄に出てくるような多少アクセスのある記事には変遷があって面白い。僕にとっては、それが過去の記事を振りかえるきっかけにもなっている。
ブログ開設から数年の間アクセスを伸ばしてくれた「北九州監禁殺人事件」の記事はすっかり読まれなくなった。事件の情報が入っていない単なる私的懐旧エッセイだから、これは仕方ないだろう。
事件ネタでいうと、「小石川家族殺傷事件」の記事は息長く読まれている。単なるルポでなく、自分なりの関わりもあって、短いが自分でも好きな文章だ。
ここ最近、「ナンシー関の予言力について」が急にトップに躍り出てきた。不思議に思って調べたら、「ナンシー関 ジャニーズ」で検索すると上位に出るようだ。今の時期、ナンシーがかつてどのようにジャニーズを見ていたか(今問題になっている事件に気づいていたか)気になる人が多いのだろう。
その問いにドンピシャというわけではないが、ジャニーズ的なものの萌芽をとらえたナンシーの文章を扱っていて、敬愛するナンシーへの批評にスポットライトが当たるのはうれしい。
羽田信生先生の本の書評が検索上位に来るのは、関連記事が少ないためだろうけれども、仏教の専門家にとっては問題外の内容だろうからどうかと思う。ただ今の僕が正面から取り組んでいることにつながる記事だし、自分の考えとして確信があるからどんな酷評も受けて立つしかない。
「日本の住宅政策3本柱」は、建築や住宅史の専門家でもない素人の記事なので、読まれるのはちょっと申し訳ない。ただ、東京郊外の住宅街での半世紀の経験に絡めているから、歴史的な証言として価値があるかもしれない。ただアウトラインだけなので、もう少ししっかり書けばよかったと思う。
「アウルクリーク橋の一事件」は、自分の思い出深い小説の感想・分析と、夢落ち全般への偏愛も語っていて、かなり盛りだくさん。毎日更新の中では難しいが、それでも時にはこうした密度の濃い文章を書いていきたい。