大井川通信

大井川あたりの事ども

なぜ高橋一郎は曽我量深を慕ったのか?

高橋一郎師のエッセイを読むと、浄土真宗大谷派の曽我量深の元に教えを聞きにいっている記事がある。当時大谷派で崇拝(神格化)されていた碩学に、いかに金光教の気鋭の教学者といえども気おくれしたはずだから、何度も足を運ぶという背景には、深い共感や納得の感情があったはずだ。(エッセイの中には、どうもこの宗派内での崇拝ぶりには疑問を感じているともとれる文章がある)

それはなぜなのか。ふりかえれば僕自身も、今村先生の紹介から清澤満之を読むようになり、偶然清澤の系譜の羽田信生先生の教えに直に触れる機会をえて、その経験をベースに金光教の井手師に向き合おうという決意したのだった。

これを今まで漠然と浄土真宗金光教には似ているところがあると考えていた。優れた宗教の行きつく先は同じなのだろうと。

しかし、常識的に考えて見ると、死後のことをほとんど問題にしない金光教と、死後の往生を説く浄土教の教えは相いれないはずだ。金光教についてはもちろん、真宗についても上っ面の勉強しかしていない僕は、最近までその不思議に思い至らなかった。

ところが、年に一度の羽田先生の講座が近づくにつれて、付け焼刃で真宗の本を読みかじっているうちにこの問題の核心に気づかされたのだ。

清澤満之から、暁烏敏、曽我量深、安田理深等々にいたる流れは、真宗大谷派の「近代教学」と呼ばれるものであり、浄土真宗の主流からは批判にさらされている。その批判の中心は「死後往生」ではなく「現世往生」をとく異端の教えということだ。

なるほど。僕が清澤満之によって宗教というものが初めて了解できたような気がしたのは、無限と有限との関係を明らかにすることがその目的だという単刀直入な言葉にうなずかされたからだ。無限の命と一体になって生きようという羽田先生の呼びかけも、特別に死後が語られることはない。

羽田先生は、暁烏敏の弟子である毎田周一と安田理深を師と仰いでいるから、当然近代教学の流れにいる。今回初めてそのことを意識して先生の講義を聞くと、近代教学批判を意識した発言が多いことに気づく。

死後にどこか別の世界に行くというのは民間信仰だ。それでは浄土宗や「お西」(本願寺派)と同じになってしまう。往生を一回と思うから、現世か死後かという問いがでてくる。信心が定まるところで往生となるが、その後も往生は刻刻と繰り返されるもので、死が往生の完成なのだ。

専門家同士は教典の言葉の解釈で応酬しているが、部外者の心には響かない。ただし、羽田先生の「今ここの命」を語る言葉の真摯さ、教えの迫力には十分な説得力がある。近代教学の魅力はここにあるのだろう。解釈の選択肢の一つというより、近代以降を生きる人間として、取らざるをえない信仰の形を突き出している印象がある。

ただ、これは少し厳しい教えだ。信心が定まることは生死を離れることでそれで往生が成立するという教えに対して、ご婦人の一人が、生死を離れているとは言えない自分は信心を得ていないのか、と質問する。羽田先生は端的にそうですと答えたが、少し冷たい印象を受けたのは確かだ。

ところで金光教なら、信心とともに「おかげ」を自覚して生きる生活が近代教学の「往生」に該当するだろう。刻刻としてあるおかげをもって(生死をこえて)「生きとおす」ことが重要だから、特別に死が意識されることはないのだろう。