大井川通信

大井川あたりの事ども

行橋詣で(9月)

雨なので、帰省中の長男に駅まで送ってもらったが、小倉駅の古本市で時間調整して、昼過ぎに行橋駅に着いた時には晴れていた。夏のような日差しのなか、教会に向かう。

街道から細い路地をのぞき込んでも、直接教会の建物が見えるわけではない。今年の3月にたまたま街道沿いのお店を訪ねて、家族がその店に長居をしたため、たまたま空き時間ができて街道を一人でぶらりと歩いたのだ。

街歩き、路地歩きが好きとはいえ、よくぞ教会の存在に気づいたと思う。掲示板の和歌をながめて、しばらく門前に佇んだのだが、そのことを後日地元の教会長に話したからこそ、井手師の存在を知ることができたのだ。

全くの不思議な縁だが、そのうえでさらに、井手師に真っ先に薦められた高橋一郎先生の著書に強く引きつけられた。前回貸してくださった小沢浩『生き神の精神史』も、研究書離れした魂のこもった本で、井手師の指南力には驚かされる。

今回は、はじめて礼拝の基本を教えていただく。「入門」が許された気持ちになる。井手師は、前回の訪問後に考えたこと、とくに清澤満之について話してくださる。僕も、浄土真宗の聞法道場での勉強から、大谷派の近代教学についての発見などを話した。

僕が、天地書付を生活のなかで唱えるようにしていること、自分のふるまいにわずかながら変化が生じていることを話すと、具体的なアドバイスをいただく。

黒住教との比較で、僕が実感として金光教では教祖の「取次」の実践と精神が、各教会のすみずみにまで浸透しているのではないかと言うと、井手師はすかさず、黒住は天の神様だからとおっしゃる。金光教は天と地の神様であり、とりわけ土が大切だと。

僕が小倉の古本市で一冊だけ買ったのは、今では懐かしい現代教養文庫の一冊『土は呼吸する』だったので、その符号もちょっとうれしかった。