竹の杖をついて大井川の川べりを歩いていると、村の賢人原田さんが、里山に接した田んぼに軽トラを止めて作業しているのが目に入った。
田んぼの下のあぜ道から近づくので、僕の姿は原田さんには見えない。僕は、大声でいつもの「ホンニホニホニ ホンニホニ・・・」という掛け声を繰り返し、原田さんにアピールする。本当は原田さんが出版した絵本の中のセリフなのだが、いつのまにか僕の登場のテーマソングになってしまった。
僕の姿を認めた原田さんは、招くようにして、自分の田んぼのあぜに腰を下ろす。僕もその隣に座って、対論の準備はととのった。
原田さんは隣に住むヨシダさんが亡くなったことを告げる。大井炭鉱の入り口にある家だから、いつか聞き取りをしようと思っていたのだが、うかうかしている間にそれもかなわなくなってしまった。原田さんは話がまとまれば空いた家の一部を借りて、ムラの新展開をはかろうと考えているようだ。
70歳をすぎて、自分の夢を実現しつつ、自分の言葉(詩作品)を広めようという意欲とそれに基づく行動にまったく衰えが見えない。だから、じりじりと前には進むのだが、原田さんが望んだような成果はでない。いつものジレンマの中に賢人はいる。
それはなぜなのか。僕はいつものように辛口で議論の核心に入っていく。
入り口は、イエスの方舟との比較だ。ちょうど先月から方舟の人たちは教会のある近くの街にお店を移している。方舟に結集した女性たちが半世紀近く共同の自活生活を続け、中心人物の千石さん(おいちゃん)が亡くなったあとも、20年以上それが揺るがないのはなぜなのか。
一方、原田さんのムラに集まった人たちが、この場所に落ち着かずに離れていってしまうのはなぜなのか。原田さんは千石のおいちゃんとそん色のない人物であるにもかかわらず。
原田さんは初めのすり合わせが不足していたといっていたが、それは違う。イエスの方舟に飛びこんだ女性たちも、特別なすりあわせなどなかっただろうから。
僕はそれを原田さんの「詩を食べる店」という発想にあると断言してしまう。実はこれは大変失礼なことだ。だって、10年前に出会った時から(そのはるか以前から)原田さんの夢は「詩を食べる店」を開くことなのだから。今は京都の方でそれを開催することを画策しているという。
ここでいう「詩」は原田さんの作品で、相手に併せてそれを料理するのも原田さん。自分の詩を味わってもらうための、いわばワークショップみたいなものなのだ。しかし、はじめこれを聞いた時、なぜそんなことをするのか僕には理解できなかったし、とても不思議で異様なことを聞いたような気がした。
自分の詩が相手の役にたつと100%決めつけて、それを押し付けるような場所にどれほど意味があるのだろう。(このブログでも紹介しているが、原田さんの詩や言葉は、とても優れたものにまちがいないが)
ところが原田さんは、そのための準備を続け、仕事をやめて時間ができた昨年からは、あちこちのイベントなどで「詩を食べる店」の出張開催をしている。
つまり、こういうことだ。
イエスの方舟で千石のおいちゃんが、共同体の中心に据えたのは「聖書」だった。おいちゃんが亡くなったあとも、彼女たちは毎日聖書研究会を開催し、聖書を読むことを続けている。
一方、原田さんのムラで、原田さんが中心に据えるのは原田さんの「詩」であり「言葉」だ。それがどんなに優れたものであっても、生身の人間と結びつく詩や言葉は、不安定だ。原田さんに思わぬカリスマや権力を与えてしまうかもしれないし、反対に生身の原田さんともども屑箱に投げ捨てられてしまうこともあるだろう。
カリスマにはなりきれない原田さんは、むしろ後者の運命にさらされがちで、それがムラも詩を食べる店もうまくはいかない原因だと思う。
この論点を話すのは初めてではないが、とりあえず僕はここまでをおさらいした。