隣町の苅田に仕事で出かける用事があったので、その帰りに同僚の車で教会の近くまで送ってもらう。前回から10日程度しか経っていないが、東京旅行をはさんでいるせいか、話題には事欠かないし、心境の進展もある。東京みやげのどら焼きをお持ちする。
大矢嘉先生の書いたものに触れてから、おかげや取次について真面目に向き合う必要を感じ、教典を丁寧に読み進めようという気持ちになった。教祖に立ち返る必要を感じたのだ。その中で、大矢先生の文章で教えられた福嶋義次先生の本を読んで目を開かされた。また、明治時代の「下層」出身の教師たちを取り上げた渡辺順一先生の論文に魅せられて、著書を読んでみようと購入した。聞くと渡辺先生は井手先生の古くからの友人で、昨年亡くなったのだという。
とにかく、金光教には、高橋正雄、一郎父子に限らず、後続世代にも人物が多いことに気がついた。そうした人物を輩出する風土(教えと組織環境)を持っているのだろう。幸いなことに井手先生はそれらの人々の多くと面識がおありだ。勉強していくうえで大変心強い。
話の流れで、職場の知人でボランティア活動に目覚めた肥後さんのことや、地元で懇意にしている村の賢人原田さんのこと話す。原田さんの経歴や活動の骨子を話しただけで、原田さんの本物ぶりを納得してもらえたのは、さすがだと思った。
また、僕には多少縁のある「イエスの方舟」の人たちの話をする。世間や大きな組織から外れたところで、信仰や思想の純粋性を貫いている存在への共感は、井手先生におありのようだ。おりをみて、イエスの方舟のお店にお連れする約束をする。