大井川通信

大井川あたりの事ども

立正佼成会のことなど

『日本の新興宗教』の中で、戦後に急速に勢力を増した教団として、創価学会とともに、立正佼成会が大きく取り上げられている。同じ日蓮宗系の新宗教でありながら、両者にははっきりした性格の違いがあるという。

僕は、幕末に出発した黒住教金光教天理教などに関心があって、明治以降では大本教世界救世教のことを少し調べたくらいだった。この本を読むと、生長の家霊友会などの紹介があって、それぞれに興味深い。

とくに立正佼成会は、教祖たちが全く貧窮した庶民の出身であることが意外だった。江戸末期ならともかく、昭和の時代に大教団を育てるためにはある程度インテリの力が必要だと思っていたのだ。

長沼妙好(1889-1957)は、幼くして母を亡くし女中や女工の仕事を続け、一度目の結婚に失敗した後子どもまで亡くし、中年過ぎて二度目の結婚をして、病気がちながら焼き芋屋や氷問屋の仕事を切り盛りする。庭野日敬(1906-1999)は上京後米屋の小僧となり、やがて牛乳屋を始める。二人を結び付けたのは霊友会の信仰だが、独立して30名の信者から始めて教団を設立する。妙好は時に神がかりをし、日敬は法華経による理論づけを行うことになる。

実は、僕は、中学生の頃、東京杉並区の立正佼成会の本部を見たことがある。高校受験の時、都立高校のすべり止めとして、立正佼成会が設立した佼成学園を受験したのだ。学校の設立の経緯は知っていたはずだが、新宗教嫌いの両親も特に受験に反対はしなかったし、僕も特別な学校を受験する感じはもたなかった。宮殿のような本部の建物が印象に残っているくらいである。