大井川通信

大井川あたりの事ども

『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ 1919

『シッダールタ』を読書会で読む参考資料として、手に取った。文庫で250頁ほどだが、二日ほどで一気に読み切ってしまった。それほどまでに(序盤は)面白く、(中盤以降は)摩訶不思議で、先を読まないではいられないような作品だった。

10歳のシンクレールの学校時代のいじめの思い出は、リアルで哀切だ。どうして子どもはうっかり嘘などついてしまうのだろう。僕も自らの嘘に翻弄された思い出がある。そこにあらわれた年長のデミアンは、たのもしく、風変わりな魅力を持っている。この辺りまでは、「少年の日の思い出」(ヘッセにはこの邦題の優れた短編があったと思う)を題材にしたやや観念的な青春小説として読むことができる。

ところが、デミアンと別れて、別の土地で学生生活を送るあたりから、徐々に物語は明るさを失い、不透明で難解な展開となる。そこで彼を導くオルガン弾きのピストーリウスは、デミアンほど魅力的ではない。

自堕落な生活に陥ったシンクレールが愛に目覚めて、夢の中であこがれ続けた存在が、実在のデミアンの母だった(そして彼女も遠隔で気づいていた)という異様な展開には何の種明かしもない。神と悪魔を描くオカルト・ホラー映画に出てくるような結社の存在も明らかになる。

ところが、文明の更新を待望する同志だったデミアンやシンクレールが、いともあっさり現世での国家間の戦争に没入するのも不可解だ。戦場で傷ついたシンクレールの抽象的な内面描写でこの物語は締めくくられる。

この混乱した筋立ては、この小説が第一次世界大戦という人類にとって未曽有の大戦争の渦中で書かれたという条件抜きに理解することはできないだろう。僕は、あとがきでこのことを知って、ようやくこの小説の神話的といえるような間口の大きさの意味を了解することができた。発表当時は大変な反響と影響慮があったらしい。

また、小説『シッダールタ』が描く思想(悟り)の由来を理解する手がかりを得ることもできた。聖なるものと俗なるものとに鋭く分裂した世界をまるごと受け入れるためには、自分の内面をたどって内なる真実を見つける道しかないことが、繰り返し語られている。