大井川通信

大井川あたりの事ども

『ダロウェイ夫人』の一日から100年

100年という時間幅は、一人の人間が経験できる時間の単位としては最大のものだろう。まして、若年のうちは、とてつもなく大きな時間を示すものに思えていた。10年ひと昔、というがそのひと昔を10個積み重ねてようやく到達できる、はるか向こうの世界。

漱石の『夢十夜』に愛する女性を待って、100年があっという間に過ぎてしまうという神秘的な話があった。100年たてば、基本的に現在の世界で生きている人たちのすべてが入れ替わる。人間を中心に考えた場合、それは全く別の世界になったということでもあるだろう。

僕は、1961年生まれだから、その100年前はまだ江戸時代だ。小中学校で歴史を学び始めたころは、明治維新から100年というイメージが強かったと思う。ところが今年は、関東大震災から100年目で、あと数年のうちに、100年さかのぼっても昭和の圏内から出られないという事態になる。

来年の3月18日は、とうとう父親の生誕100年の節目になるから、姉と会って祝おうと約束した。身近な父親がかかわってくると、100年という時間の神秘性がだいぶ薄れてしまうような気がする。

『ダロウェイ夫人』は、登場人物たちの意識の流れを丹念に追って、小説の中で実際に経過するのは一日の時間に過ぎない。その一日から今日で百年ということに感動して、文学好きな知人にそれを言いふらしてしまった。純粋に感動してそうしたのだが、あとから振り返ると単なるペダンティズム(衒学趣味)にとられかねないのが残念だ。

 

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