大井川通信

大井川あたりの事ども

関東大震災直後の映像を観る

今日は、関東大震災発生から99年目の日となる。地震直後の東京の被害や救援活動を写した貴重な動画がネットで公開されている。写真でしか見たことのない震災被害が比較的鮮明な映像で30分以上残っていて驚いた。

僕の父親は震災の翌年の3月に生まれているから、震災の時、父を身ごもっていた身重の祖母が東京の街で命からがら避難したという話は、父親から何度も聞かされた記憶がある。ちなみに父親は、渋谷の道玄坂の生まれだ。

妻の祖母は福島出身で、東京に奉公に出て、震災当時東京で福岡出身の祖父と結婚していたという。その後福岡に戻って博多にミシン店をかまえたそうだが、妻はこの祖母にずいぶんと可愛がられたらしい。妻が子どもの時ボーっとしていると、ゆめのきゅうさくのごたる、シャキッとせえと言われたという祖母だ。

被災や救護の現場で映し出される当時の若い女性の姿を見ると、その中に、僕や妻の祖母たちがいるような気がして、思わず目をこらしてしまう。

このフィルムは、西本願寺が救護隊を組織して自分たちの活動を写し、あわせて震災直後の被災のフィルムを買い取って編集し、全国の末寺などの会場で上映会を開いたもののようだ。社会奉仕とともに宗派の布教宣伝を兼ねたものだろう。いまでは災害時の個人ボランティアが話題になるが、当時は宗教団体の役割が大きかったことがわかる。

10万人以上の死者を出して、東京が焼け野原となってしまった姿が、俯瞰の映像で映しだされる。今まで観る機会の多かった敗戦後の東京の姿に重なる。すでに建物の建築が進んでいる様子も見られるが、このあとわずか20年数年後には、せっかく作り直された街並みが、空襲によって同規模の死者を出し再び焼け野原になってしまうとは、だれが予想しただろうか。

この年齢まで生きると、20年という時間がとても短いことを実感する。今から20年前の日韓ワールドカップのことなど、ついこの前のことに思えるからだ。

天災によって徹底して破壊された街を再建し、その知恵と工夫と労力の結晶である街をわずか20年後に人災により喪失する。巨大な積木崩しのようだ。人間というもののどうしようもない愚かさを思う。

 

ooigawa1212.hatenablog.com