大井川通信

大井川あたりの事ども

次男の子育て(高校生活と就職活動)

高校は10人くらいのクラスで、先生の目の届く良い環境だったと思う。三年の英語の授業参観では、けっこうしっかり授業しているのに驚いた。実習は木工を選び、小さな椅子やベンチ、三段の抽斗などを作ってきて、今でも自宅の家具として使っている。

長期休みの時など、友達の誘われてずいぶん釣りに行っていた。もともと釣りには興味があったので、喜んで道具をそろえていた。ただし、卒業後、せっかくの寮生活の友達とも疎遠になってしまったのは、人付き合いの苦手な性格によるのだろう。もったいない気がするが、これはどうしようもない。

体育祭や文化祭の行事では、卒業生も多く参加して(次男も卒業後数回は参加していた)、全校のお祭りのような雰囲気だった。文化祭の劇で、得意の「座布団回し」を披露して快哉を浴びたこともあったが、中学とは違い、学校で目立ったりリーダーシップをとったりするような機会はなかったかもしれない。

就職については、何度か説明会や面接があり学校が力をいれている姿勢はうかがえたが、その場その場のインフォメーションはあっても就職に向けての日程の全体像が提示されないために、最後までどのタイミングで何をしたらいいのかよくわからないものだった。

早くから介護職を希望し、初級研修の受講を希望していたにもかかわらず、配慮がなかったために受講が卒業後の春休みになってしまったことは、特に妻が怒っていた。職場実習も、役所での事務実習(これはお遊びのような中身で本人に事務仕事への誤解を持たせただけだった)と、地元で妻が頼み込んだ施設での介護職の実習だけで、就職に結びつくようなものではなかった。

別に親が特定の職種でごり押ししたわけでもなく、高望みをしたわけでもなく、機会を与えられないままにずるずる時間が過ぎてしまったという印象だ。年末に妻が有力な教員に直訴したため紹介してもらった実習先で断られ、年をこして別の施設に紹介され、就職が正式に決まったのは卒業式前後だったと思う。

有力な教員というのは、担任でも進路担当でもなかったが、「いつでも、どんなことでも、卒業後いつまでも学校を頼ってください」と(普通の教員がとても口にできないことを)断言する情熱家で、妻も信頼しており、次男の就職が決まったのも、どうやら学校の不手際を知った彼が、自分のつてで無理にねじ込んでくれたおかげだったらしい。

この先生には、卒業後さっそく障害年金受給の手続きの件でお世話になった。