大井川通信

大井川あたりの事ども

夢野久作の墓前で『犬神博士』を読む

旧杉山農園の場所の情報を探している中で、夢野久作墓所についても知ることができた。これも驚きだったのだが、僕の妻の実家から歩いて数分の場所だったのだ。博多区の呉服町で、今は取り壊された実家の近所にある一行寺というお寺だ。

今の職場からもバスですぐだから、仕事帰りに寄ってみると、観光案内の表示もない古びた寺で、寺門の脇にある杉山家累代のお墓はひっそりとしてお参りの跡もない。僕は手をあわせた後、墓前で『犬神博士』の文庫本を取り出して読んでみた。

『犬神博士』は、犬神博士と呼ばれる怪老人の回想録の形をとるが、育ての両親のもと大道芸をしていた幼年期のエピソードがえんえんと続いて、読書の意欲を失いかけたところだった。さすがに墓前の緊張感で20頁ばかり読み進めて再び物語の世界に入ることができた。

後半に入ると、折尾、木屋瀬、植木、直方と僕の生活圏が舞台となる大活劇で目が離せなくなる。筑豊炭田の鉱区の利権をめぐって、知事と官憲らの一派と、玄洋社との対立抗争に、稚児時代の犬神博士が子どもながらに神出鬼没の活躍をするのだが、不意に物語は中断してしまう。

当時の風俗や社会制度の描写は興味深く、大衆小説のような人物造形や筋立ても面白かったが、いかんせん犬神博士の人生が始まったばかりで終わってしまうのは不満が残る。

角川文庫解説の松田修さんは、「貴種流離譚」や「両性具有」等の概念を使い大上段に振りかぶって久作を論じているが、20代の頃、岡庭さん主催のシンポジウムでお話を聞いたのを思い出す。その時すでにかなりの高齢で、不自由な身体を押しての登壇だった。