大井川通信

大井川あたりの事ども

夢野久作の農園跡

休日なので、妻とドライブをする。妻の希望は、新宮のインテリアショップだったが、少し足を伸ばして、九州産業大学の美術館に先に行くことにした。九産大前駅近くの唐原(とうのはる)の街は、新婚の頃3年ほど住んだことがあり、長男を授かったのもこの土地だった。

キャンパス内の美術館のたたずまいと静謐な空間は好きだが、小ぶりの作品群はさほど印象は強くない。ただ、思い出のある街を再訪するのが目的だから十分満足だった。ふと、美術つながりで、近くの丘陵にある宗教施設の美術館を訪ねようと思い立つ。

ここには世界救世教の流れをくむ「手かざし」の団体(晴明教)の本部があって、美術品を公開していることは知っていたが、入ったことはなかった。

受付をすますと、高台の美術館の内部は新宗教の施設らしい非日常的な荘厳さが感じられる。思いの外眺めがよく、九産大のキャンパスが眼下にあり、福岡市の街並みまでが見晴らせる。ふと、唐原にあったときく夢野久作の杉山農園のことが気になって、作品解説をしてくれた年配の職員の方に聞いてみたが、ご存知ないようだった。

帰り、丘陵の並びにある小さな公園(唐原東公園)に寄る。当時妻が長男を毎日のように遊ばせていた場所で、樹木が多く開発が進んでも面影はよく残っていた。

家に帰ってから、念のためネットで検索すると、久作の孫にあたる人のSNSが、杉山農園と久作の住居跡の住所(唐原4丁目18 -654の1)を載せてくれている。ちなみに僕が住んでいたのは唐原5丁目。比較的新しい記事で、以前にはなかったものだ。彼は、福岡市がこうした文学史上重要な情報や旧跡を大切にしていないことを憤っているようだが、なるほどと思う。

農園は大学キャンパスや住宅街の広がる低地ではなく、丘陵上の高台(今はゴルフ場や病院になっているあたり)にあった。そして驚くことに、久作の旧宅は、唐原東公園のすぐ近所にあったのだ。もちろん時代は違うが、あの夢野久作と若いころの自分の生活圏が重なったいたとは。

次に訪ねるときには、旧宅のあった場所まで歩いて作家をしのびたいと思う。