大井川通信

大井川あたりの事ども

講演会を中座する

小説家村田沙耶香さんの講演会に参加する予定だったことを前に書いた。ふだん小説家の話を聞くことはあまりなかったが、読んでみた彼女の作品がとてもよかったので肉声に触れてみたくなったのだ。

当日、仕事帰りに会場の大学に行くと、会場には多くの人の姿が。県外からの参加者もいるらしく、やはり小説家には熱狂的なファンもいるのだろう。

対談形式でイベントは始まったが、これが違和感しかなかった。対談相手は政治学者のようだが、彼の話など聞きたい参加者はいないだろう。小説家が一人で話すのが苦手だというなら、うまく話を引き出す役に徹するというなら話はわかる。

ところが、失礼ながら風采の冴えないその学者は、立ち居振る舞いも垢抜けなくて、全体のほぼ7,8割の分量をしゃべっている。しかも、話し方と音響がミスマッチで半分以上何を話しているか聞き取れない。少なくとも、聴衆に言葉をきちっと届けようという意識はないみたいだ。

さらにはその内容も(聞き取れた範囲でいえば)自分が知っているエピソードトークや小説に関する自分の解釈など、参加者がまったく求めていない内容だ。しゃべりすぎる理由でもあるだろうが、年長者ぶった態度で、作家に対する敬意が感じられない。誘導尋問のように作家の言葉を限定してしまい、せっかくの作家の発言に自分の解釈をかぶせようとする。

ただ、そんな悪条件の中でも、村田さんのたたずまいは素敵だった。若いころからの作品がすべて一つの長編小説の部分を書き継いでいるような気がするという発言は、僕の村田作品から受ける印象(世界の正確な基本設計図のもとに作品を書き継いでいる)を裏付けるものだった。

そのことに満足すると、20分で僕は会場を後にした。後半には学生とのセッションが予定されていると聞いていたが、この無神経な空間にこれ以上い続ける気にはならなかった。従順にだまって耐えていることは、この空間のありようを認めてしまうようで嫌だったのだ。

ただ、会場の入り口のスタッフに人たちに、今のような不満をぶちまけてしまったのは、良くなかった。自分には正当な理由があるつもりで怒りに歯止めがきかない老人みたいでした。アンガーマネジメントを心がけないと。