大井川通信

大井川あたりの事ども

『世界でいちばん透きとおった物語』 杉井光 2023

中学生のビブリオバトルでチャンプ本となった本で、その縁で読書会の課題図書になった。作品そのものを成立させるアイデアというかネタがすべての小説であるので、ネタバレが前提というところで感想を書く。

おおざっぱに言うと活字の配置が前頁同じ(正確に言うと見開きのページで線対称)になっていて、余白の部分は前頁を通じて余白であり、絶対に裏写りしないという構造になっている。

本というのは、紙に印刷した活字の集合体だ。ふつうはそこから意味とストーリーをくみ取っていくので、その集合体の形状はまるで問題にされない。この集合体にモノとしての特別な造形を与えるというアイデアが初めにあったのだと思う。

この小説がこういう造形になったことの理由を読者に最後に気づかさせて驚かせるために、逆算して物語が組み立てられたのだろう。各ページの活字の集合体を同じ形状に収めることは、手間暇がかかってもプロの作家ならできないことはないだろう。しかし、上記の条件を満たす説得力のある物語を作りだすことのほうは、絶望的なまでに難しい。だから、この本もそれに成功しているとはいいがたい。

作家に不倫相手の子どもがいる。事故の外傷で、紙面の裏写りに敏感で紙の本が苦手だという特性を持つ。だから、その子どものために絶対に裏写りのしない本を書こうと思い立ったが、そのアイデアに取りつかれたものの、完成する前に死んでしまう。

その幻の作品を、関係者の聞き取りを通じて探していくのがこの作品のメインのストーリーとなる。そんな特別な本づくりという迂遠な手段のメッセージに頼る必要があるのは、二人の関係が遠いからだ。しかし、遠いにもかかわらず、特別な愛情がなければならない。しかし、愛情があるなら、その表現方法がもっといろいろあったはずだろう。

この点で、残念ながら親である作家の行動には説得力がない。しかしそれ以上に唐突なのは、アイデアのままで死んでしまった作家の後を受けて、主人公が同じアイデアの小説(この作品)を完成させるということだ。

確かに作家の死後の物語が中心である本作品を、作家が残したという設定にはできない。この作品を書けるのは、最初から最後まで出ずっぱりの息子である主人公だけである。またこの強引なストーリーを導くための年上のヒロインは、不自然なほど聡明で主人公に献身的な存在とならざるをえない。

たしかに、本の意味の世界から活字というモノの世界を見出した瞬間の驚きはあった。しかし、活字の配置の形状に、前頁同じという以外の意味があるわけではないのはどうだろうか。(その形状自体が意味を帯びてこそのアイデアという気がする)

さらに違和感は、このタイトルにある。記号論の常識に従えば、記号は意味へと送り届ける際に自らは透明となる。だから単行本だろうと文庫本だろうと電子書籍であろうと(裏写りがあろうとなかろうと)、送り届けられる作品の意味世界は同一なのだ。

今回のトリックの驚きは、文庫本の活字が透明であることをやめて、一気に不透明になって、紙片に印刷された活字というモノとしての姿をさらすことによって与えられた。だから本当は、活字が「透き通ること」をやめる瞬間の物語、でなければならないのだ。