大井川通信

大井川あたりの事ども

サークルあれこれ(その2 思想系読書会R)

日本の風土で哲学思想(というより論理)を語り合うことの困難を骨身にしみて考え続けることのできた読書会。30年にわたってつかずはなれずの関係をつづけたおかげで、いろいろな課題を見つけることができた。そのことはいくつかの記事に書いてきた。

今まで触れてこなかったことを書いてみよう。隔月開催を30年間続けてこられたのは、ひとえに主宰の別府さんの実務家(編集者)としての持続力だ。本好きの人は得てして気まぐれで飽きっぽいし感情の起伏も激しい。自分の思い通りの会にならないと嫌気がさす。

僕自身も、2000年前後の頃と、2010年代半ばの頃にそれぞれ3年程度の長期離脱をしている。ちょっとしたいさかいが原因だ。そういう人間が主宰者なら会はすぐにストップしてしまうだろう。とにかく人が集まって二次会で飲むのが楽しみだという人が中心でないと、読書会は継続しないのだろう。

この10年の会のエンジンは、詩人の高野さんだ。僕は長年、レジュメは簡単でいいから議論中心の会にしようと自分なりに実践してきたが、影響力はなかった。高野さんの馬力で現在、レジュメがなく事前課題をお互い議論するという形式も定着しつつある。英文学者である高野さんの影響で、小説を課題図書にすることも多くなった。

しかし、小説を扱っても、思想系読書会としてのクセは揺るがない。これは自分を含めてほとんど出入りなく定着している高齢メンバー(50代以上が中心)の個性だろう。作品の細部についてのうんちくをえんえん語ってしまいがちだ。参加者の発言はぶつ切りの断言命題であり、当日の会においても、また次の会に向けても有機的につながっていく気配がない。

それでも学生のあしらいに慣れている大学教員の高野さんが会の中心で回していると、なんとなくコミュニケーションが成立し、議論が生まれているように錯覚してしまうから不思議だ。あるとき高野さんにそのことを尋ねてみると、アメリカ留学時代に身に着けた技術だという。とにかく聞き取れたポイントが一つでもあれば、それだけで相手に反応して即座に返すことができる。

不器用な僕は、心底感心してしまった。これも主宰の別府さんとは別の意味で、会を成立させ持続させるための影の努力といえるだろう。

 

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