大井川通信

大井川あたりの事ども

夢野久作の通勤路を歩く

夢野久作は、1919年から1926年まで、九州日報の新聞記者として働いている。本格的な作家活動を始める以前のことだが、唐原(とうのはる)の杉山農園から香椎駅までを毎日歩いて通っていたらしい。

僕は以前、唐原に住んでいたことがあったけれど、九産大前駅が最寄りに出来ていたから、香椎に買い物に行くときも車を出していて、歩くなんて考えもしなかった。

4月から電車通勤になって、九産大前から香椎までの車窓風景をながめるのが日常となったので、思い切って香椎でおりて、久作の通勤路をたどることにした。もちろん当時の道とは違っているだろうが、似たようなコースを歩くことはできて、100年前の久作の生活に思いをはせた。

30年前に新婚の僕が住んでいたアパートの横をとおり、長男を遊ばせた唐原東公園に上がると、久作の屋敷跡はすぐその先だ。入口跡には、「両側に」大きなクスの切り株があるのが今回の発見だった。ゆっくり歩いておよそ40分の道のり。100年前も30年前も、痕跡だけ残して消滅してしまった過去という意味では、あまり変わらないような気もしてくる。

広大な杉山農園は、大部分がゴルフ場に姿を変えてしまったようだが、屋敷跡をはさんで、精神科の病院と新興宗教の本部施設ができているというのは、いかにも夢野久作のゆかりの土地にふさわしい。

高台から薄暗くなった道を降りて、駅近くの喫茶店ハローで、ナポリタンを食べる。ここも昔からあるお店だ。