大井川通信

大井川あたりの事ども

庚申塔の消失

休日早朝の大井川歩き。ババウラ池の底の水たまりには、エサをあさるサギがいるばかりだ。カイツブリのヒナの凛々しい姿が目に浮かぶ。君のことは忘れないでおこう。

どこに行きたいのか、どのくらい歩きたいのか、なかなか方向が定まらずに、駅の方面にぶらぶら歩く。しょせん見慣れた家の周辺を歩くのだ。初めから気持ちが高鳴り、わくわく目的地を目指すなんてことはめったにない。しかし歩けば必ず新鮮な発見がある。今回もそうだった。

手近なところで、街道沿いの集落のタグマに入ることにする。ここには小学校の裏山に立派な鎮守があり、大きな屋敷も並ぶなど人家が密集して、道が迷路のように走っている。庚申塔が四つもあるから、歴史があり、経済的にもある程度豊かな町だったのだろう。シンボルは酒蔵のレンガの煙突だ。これを見上げるだけでも来たかいがある。

ただ数年前と比べても、古い家が取り壊されて、アパートや分譲住宅に変わっているのが目立つ。おそらく、開発というよりも、世代交代による相続が原因であるような気がする。

路地の奥にあるなじみの旧家が、新しい分譲住宅に様変わりしている。商売の気配はなかったが「和服」の看板が出ていて木造の古い納屋のある家だった。悪い予感がして、敷地の角にまわると、そこにまつられていたはずの庚申塔がない。丸く加工された石に慶応の年号が彫ってあったが、初代を引きついで後年に作り直したものだったのかもしれない。それでも、古い路地には良く似合って、花など供えられていた。

昔なら、公民館や公園や神社の敷地に移したりしたのだろうが、今ではそんな知恵も、受け入れる側の度量もないのだろう。近所を探すがみあたらない。ゴミ出しにでてきた隣家のおくさんに聞くと、気づいたときには転がされていたから業者がどこかに処分したのだろうという。撤去を非難されているように感じたのか、保存の責任は市役所にあると不満顔だ。

今の現役の人たちは、見かけは老人のようであっても、高度成長期以後の価値観で育った「元若者」たちだ。親世代がかろうじて引き継いできた伝統や信仰は、そこで完全に途絶えてしまったのだろう。

これでタグマの町の庚申塔は三つになってしまった。