大井川通信

大井川あたりの事ども

夢野久作の忌日

今日は、東日本大震災から10年の日だけれども、最近、僕の高校の卒業式の日でもあったことを思い出した。学園紛争の「成果」でいろいろ自由だった高校で、人気投票で話をする教師が決まり、卒業生が立候補で勝手な話をするようなゆるい式だった。

また、今日は夢野久作の忌日であることも知ったので、角川文庫で復刊されたばかりの短編集『空を飛ぶパラソル』を読んでみる。久作の忌日には、特定の名称はないらしい。

「いなか、の、じけん」は、1928年から1930年に発表された掌編集で、今で言うショートショートにあたる。昭和初期の田舎の因習を背景に、猟奇的で凄惨、ときにユーモラスでもある事件が描かれている。読みながら、ふと、物語の舞台の多くが、地理的な説明から久作が農園を経営した福岡の郊外であることに気づいた。

農園があった唐原(とうのはる)には、僕も3年ばかり住んでいたことがある。今では、住宅が密集する住宅街だ。遠い昔のとんでもない田舎の物語と思って読んでいたが、創作要素が強いとはいえ、意外と足元の出来事だったのだ。地続きである今住む大井の戦前の様子もこんなふうだったのだろう、と想像しながら読んだ。

小説としては「キチガ〇獄」が圧倒的に面白かった。奇想天外なストーリーの魅力とともに、最後のどんでん返しとその余韻がいかにも久作らしい。小ドグラ・マグラといったところ。

「怪夢」という夢を舞台にしたショートストーリー集のなかの「硝子世界」のイメージが、群を抜いてよかった。「世界の涯の涯まで硝子(ガラス)で出来ている」都市での探偵からの犯人の逃走劇。すべてが透きとおっているから、どんな遠くても犯人の姿は見通せるのだ。

「玻璃の衣裳」を着た探偵のでてくる萩原朔太郎の詩『殺人事件』を連想する。「みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、/曲者はいつさんにすべつてゆく。」