菊花賞の激走を見てから、大井川周辺を歩き始める。昨日のクロスミ様に続いて、今日はヒラトモ様にお参りしようと思うが、時刻も午後4時過ぎになってしまって、里山に入るのも怖い。薄暗くなりつつある山道を少し上ったが、この季節ジョロウグモの巣があちこちで道をふさいでいて、怖気づいて断念する。
しかたなく、広々した田んぼのあぜ道を歩く。まわりを見回すと、歩いている人のほとんどが犬の散歩をしている。これでは都会の公園とおんなじだ。犬に興味がなかったから今まで気づかなかったのだ。
あぜ道の途中で手押し車のようなものに腰かけて休んでいる年配の男性がいたので、ひとまず犬をほめて会話のきっかけにする。今回は断念したものの日頃信仰しているヒラトモ様の功徳か、予想外の展開が待っていた。
旧大井村の集落は、大きく四つに分けることができる。大井川を挟んでマスマルとジュウリキが二大勢力。前者は吉田姓が多く、後者は力丸姓が多い。かつてはジュウリキが本村(ほんむら)を名乗っていたが、今は本村の地名はマスマルの側にある。
大井川をさかのぼって、今では大井ダムを隔てて離れているのが、かつては枝村だったシャカイン。ジュウリキに並んでその下流側にあるのがヒラノ。
僕の聞き取りは、マスマルとジュウリキに集中していて、シャカインとヒラノは手薄になっていた。その男性は、ヒラノに多い古野姓で、お名前はショウイチさん。昭和9年(1934年)生まれで、戦前のこともしっかり話してくれたのがうれしかった。遠い昔の出来事を聞く場合、ついこちらが誘導尋問してしまいがちだ。だから、ご本人自らしっかり口にした言葉を聞き分けることが大切になる。
フルノさんは、ヒラトモ様(この呼び名にはなじみはないようだ)のことを迷いなく「トノミネ様」と呼んだ。戦時中、お父さんと一緒にお参りしたそうだ。これは、僕の方から口にした言葉だが、はっきり「五社参り」の一つだったと証言してくれた。
クロスミ様には、戦前小学校の遠足で行ったそうだ。これは新証言。ヒラノ山にも行ったそうだが、モチヤマ側からクロスミ様に上ったことをはっきり覚えていた。「大井炭鉱」の名称もしっかり口にする。硫黄が多かったために閉山になったと記憶していた。
僕が、かつてヒラノで唯一聞き取りをしたフミコさん(昭和天皇の御大典記念のお祭りを覚えていた)をご存じなのもうれしかった。フミコさんは、ショウイチさんの叔母さんにあたる人で、残念ながら2年ほど前に亡くなったそうだ。