大井川通信

大井川あたりの事ども

大井炭鉱の思い出

5月18日の記事で、ミロク様発見の経緯について、紙版「大井川通信(その12)」の後半部分を引用した。今回は、残りの前半部分を引用する。

光陰矢の如し。力丸さんご夫婦だけでなく、天野さんもこの世を去り、森田さんも大井を出てしまった。松の木の枠が残った坑口は、このあと山中で発見することができたが、平井山の塚(古墳)は、ソーラーパネルの大規模な開発で、全て撤去されてしまっている。

 
紙版「大井川通信(その12)2014.5.20」から

どうしても聞きたいことができて、大井川の中屋敷橋を渡ったところにある力丸弘さんのお宅を訪ねてみた。村歩きの途中で、ふつうに出会った人と会話を交わすというのが、なんとなく自分のスタイルとなっているので、玄関のブザーを押して無理矢理話を聞き出すのは気が引ける。でも力丸さんは二度も外で声をかけているし、と思いながら待っても返事はない。屋敷の前にはトラクターや自動車もあるし、洗濯物もかけてある。橋を戻ると、川の反対側の畑で、お年寄りのご夫婦が農作業をしていた。もしやと思って足を止めると、ちょうど朝の作業が終わって、あぜ道を戻ってきたのは力丸弘さんだ。
5月中旬の日曜日の午前10時。汗ばむくらいの日差しの中、大井川の脇の道で、僕はメモ帳を片手に力丸さんとずいぶん長い間立ち話をした。途中、種紡ぎ村の森田さんが手を振りながら自転車で通り過ぎる。本村橋のたもとの天野さんのご主人が、車で戻ってきて、また車で出かけていった。
ヒラトモ様や和歌神社のことから始まって、思いがけず、大井にあった炭鉱のことも話題になる。
「村の若者が、4人ばかり頼まれて手伝った。坑道の中にも入ったけれど、松の木の枠を立てていて、立派なものじゃない。坑口もそんなもん。納屋もあって、よその人が働きにきていた。長谷川さんが労務課長で、鉱主は参議院議員にもなった有名な宇部の人で、ここに来たこともあると言っていた。石炭が出なくて、10年もやってなかった。ダムの向こうの平井山にも炭鉱はあったよ。平井山には塚もあって、東郷小学校のお別れ遠足で行ったところだ」

 

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