大井川通信

大井川あたりの事ども

マスマル橋のたもとですべてがつながる

昨日、大井川歩きの遠征で目覚ましい体験ができたので、今日も夕方、競馬の京都大賞典のレースをテレビで見てから、一時間ばかり地元の大井を歩く。

大井川のマスマル橋を渡ったところに、小さな坂があって、かつてサカ屋敷と呼ばれた民家の入り口になっている。そんな聞き取りをしたのはもう8年も前だが、そのあと調査はすすんでいない。

坂の脇の小さな耕地で農作業をしているご婦人がいたので、思い切って声をかけてみる。サカ屋敷について何か聞けると思ったのだ。ところが、彼女は、マスマルとは田んぼをはさんで反対側の十力(じゅうりき)に住んでいるという。

あなた、力丸家の絵本を書いている人でしょ。突然、そんな風に言い当てられて面食らったが、すぐに事情がわかった。半年ばかり前、妻がショッピングモールでアクセサリーの販売のついでに展示した絵本に興味をもった人がいた。

今はヨシタケに住んでいるけれども実家が大井の力丸家だから、この話がなつかしく母親に見せたいということだったので、夫婦でコピーを届けた。その人のお母さんだったのだ。絵本の聞き取りをしたムツコさんの隣の隣の家で、お名前はトヨさん。

力丸の女祭りの話や、近所の知り合いの話(ヒロツグさんの一学年上とのこと)などをする中で、出身を聞くと、平等寺だという。

平等寺といえば、「ひさの」に入居していてたくさんのことを教えていただいたフカホリハツヨさんのことが思い浮かぶ。ハツヨさんの話から、僕はなんども平等寺に足を運んだ。そこで何気なくハツヨさんの名前を出すと、なんとハツヨさんはトヨさんのおばさんだという。ハツヨさんから聞いた平等寺特産の和紙の思い出も聞くことができた。

力丸の女祭りも今はなく、平等寺の紙づくりも昔の話だ。お話をうかがったムツコさんもハツヨさんも、今はこの世にはいない。しかし、マスマル橋のたもとでのトヨさんとの世間話から、時間と場所をこえてそれらが一気につながったのだ。

 

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