大井川通信

大井川あたりの事ども

山頂から自宅をながめる

標高271メートルのコノミ山の山頂は、我が家から直線でぴったり3キロメートルの距離にある。視界の樹木が切り払われて、以前より眺望もよくなっているし、空気も澄んでいる。今回は肉眼での識別に挑戦して、なんとか家を目視することができた。

自宅の二階の窓からも、コノミ山を見ることができる。ふだん見ている山から、こちらを見下ろすという視点の交換が、なんとも気持ちがいい。それはなぜだろうか。

他者の視点に立つことは、日常の暮らしで当たり前に行われていることだ。僕の好きなソシオン理論によれば、第一の〈私〉は、なによりも他者の像なのであり、第二の〈私〉は、他者から見られた私の像ということになる。こうして見る・見られるの関係の積み重ねのなかで、実体めいた第三の〈私〉が生まれてくるというわけだ。

こうした視点の交換の連鎖と累積の中で、相手を思いやったり、愛したり、嫉妬したり、憎んだり、というあれやこれやの営みがある。それは一面とても息苦しいものだ。

日常のスケールを踏み越えて、思ってもみない相手とダイナミックに視点を交換することは、そうした日常の憂さをはらすような効果があるのかもしれない。しかも、家と山頂との間を何時間もかけて往復するという労力が、この視点交換の特別感、達成感をいや増しにする。

まず、双眼鏡でのぞいて、二階の窓の開け閉めの具合から我が家を確認する。幸い、明るい色の塗装の家はこちら向きの斜面に建っていることもあって、よく目立つ。その位置関係を記憶すれば、双眼鏡を外しても、白っぽいシミのような自宅の目視は可能なのだ。

山頂から見ると、自宅からさらに5キロ以上先にある海岸線もすぐ近くに迫っていて、玄界灘の外海が広々と見渡せる。僕が住むのが海べりにはりついたような街であることをあらためて実感する。