大井川通信

大井川あたりの事ども

高松山で道に迷う

我が街の境界となる西の丘陵の最高峰「水落山」を征服したからには、その並びの高峰「高松山」にも登頂したくなる。雑草と有害生物の季節はもう目の前だ。週末に意地悪のように天気が崩れるが、なんとか晴れた土曜日に勇んで家を飛び出す。

高松山は200メートル弱で、水落山より50メートル程低い。しかし、大井の枝村の釈迦院地区に間近くそびえていて、こんもりとした山の姿は遠くからでもよく目立つ。大井川歩きを始めてから、いろんな思いで見上げてきた山だ。真下の林の中には公設の葬祭場があるから(縁起でもない話というのだろうか)僕も家族もおそらくは、この山の麓で煙となるはずだ。

今は「宝冠山」と呼ばれているが、明治初年に編纂された『福岡県地理全誌』では大井村の山岳として「高松山」として説明されている。大井の人間としては、こちらを採りたい。「村の西にあり。山麓釈迦院より絶頂へ八町。草山。松少し立り。平険相半す」

奥にある隣町の集落をぐるりと回って、整備された登山道で冠山に登る。千年ばかり前にこの山で入定し生きながら仏となった上人を山頂近くのホコラでまつっている。これに因んで弥勒山とも呼ばれていたという。ここにもまたミロクだ。

冠山の山頂はかつての山城で、ここまでは何回か見学に来たことがある。ここから先は正規の山道はない。ただし地図によると、尾根伝いにしばらく歩けば、水落山から高松山へと続く尾根に合流する。その尾根を右折して上がるとすぐに高松山の山頂にぶつかるはずだ。ネット上の登山者の記事を見ても、さほど困難なルートではない。

赤いテープをたよりになんとか尾根の合流点までたどり着いて、目当ての方向を歩いても山頂の標識は見当たらない。行き過ぎたのかと思って戻ってきても、こんどは合流点すらが定かでなくなる。落ち着こうと倒木に腰をかけて水を飲み、これだと思える方向に歩きだすが、かなり歩いてたどり着いたのは、その同じ倒木だったときには恐ろしくなった。登頂をあきらめようとも思ったが、帰り道さえわからない。

その時、一筋の光明となったのが、樹々の隙間から見えた大きな山だった。こんな山は、近隣には隣町にしかない。しかし、今まではそちらを自分の町の方向と思って山を探していたのだ。つまり、峰の合流点で右折せずに、なぜか水落山の方向に左折して峰を歩いていたのだ。道理でアップダウンを繰り返すばかりだったはずだ。

その謎が解けると、進むべき方向もはっきりする。倒木が多い斜面で登りがきつかったが、あっさり高松山の山頂にたどり着いた。帰り道も、確かに合流点のあたりの林はわかりにくかったが、なんとか尾根伝いに冠山までたどり着くことができた。ただその帰り道の遠かったこと。目的達成の欲望にかられているときの人間のエネルギーのすごさを思い知らされた。