大井川通信

大井川あたりの事ども

うその思い出

エイプリールフールに上手な嘘をついた思い出はない。特別な日にちを頼りにしなくとも、ふだんからいくらでも嘘をついているためかもしれない。嘘というよりホラというべきだろうが。

僕は、いつもスキがあれば人を笑わせようとしている。笑いをとるためには、相手との関係や状況に応じて、いろいろな手法を使い分けないといけない。そのうちの一つがホラだ。

僕の冴えない日常を知っている職場の人などに、金曜日の帰宅時に「今から六本木のクラブに寄って踊ってきます」とか、バレンタインデーの日に「トラックを三台チャーターして待機させています」とかいうホラ話を、ついついしてしまう。面白いか面白くないかはともかくとして。

ただし今から書くのは、少年時代の悲しいうその話だ。子どもの頃は、家が貧乏だったためか、夢と現実の区別があいまいだったためか、単なる見栄っ張りだったためか、友人にうそをつく羽目におちいり、あとで苦しむということが何度もあったような気がする。

しかし人間の記憶というものはありがたい。本当に苦しかったはずの具体的なエピソードの方は、ほとんど思い出せないのだ。少年時代が薄明るいモヤの中に沈んでくれたら、それも幸せかもしれない。その中で、今でも覚えているのは、野球盤をめぐってのエピソードだ。

小学生時代はボードゲームが全盛期で、ボーリングゲームや人生ゲームなど高価な新手のゲームが子どもたちの購買欲を誘っていた。僕はそれらをはじめからあきらめていたが、ある時、親せきか親の知人から、古い野球盤ゲームをもらったことがあった。

いかにも古びた野球盤だったけれど、それでもうれしかったのか、新しい野球盤を買ったと友人につい話してしまったのだ。そうすると、当然友人は遊ばせてほしいといってくる。僕はなんとかそれを断るために苦心する。

しかし、このエピソードの結末がどうなったか、まるで思い出せないのだ。おそらく、友人の前に古い野球盤を気まずく出したのだろうが、その痛い記憶を心はすっかり拭い去ってしまったのだろう。