軍人将棋は、いかにも戦前の旧日本軍のイメージを引きずったものだったが、もっとスマートな軍事ゲームも流行っていた。
魚雷戦ゲームは、海面に見立てたプラスチック板の両端に敵味方の軍艦を並べ、交互に発射するパチンコ玉のような魚雷が半透明の板の下を転がり軍艦を撃沈するという単純なもの。1967年の発売以来、改訂を重ねて販売が続いているという人気ゲームだ。
レーダー作戦ゲームは、ベースは海戦ゲームという古典的なゲームということだが、当時は輸入品のスマートなボードゲームが大々的に売り出されていた。
お互いに手元のボードのマス目に大小の軍艦を任意に配置する。魚雷を打ちあい、軍艦に命中した場合は申告をし、マス目全部の攻撃を受けるとその艦は沈没となる。それぞれのボードの正面にはレーダー盤のようなデザインの板がついていて、自分が攻撃したマス目にピンを指して敵艦の位置を推理するというのが知的でかっこよかった。
これらのゲームは、当時の僕には高価で手に入れる望みはなく、友達の家で遊ぶしかなかった。今でもその名前が頭に刻まれているくらいだから、よほどあこがれていたのだろう。
考えてみれば、プラレールも野球盤もボウリングゲームも人生ゲームもみな友達の家で遊んだものだった。今の子どもたちがコンピューターゲームやカードゲームに夢中になるように、当時の子どもたちはボードゲームに夢中になっていたのだ。しかし、それらは多く高値の花であり、僕だけでなく大勢の子どもたちが我慢を強いられていたのだと思う。
そう、まだまだ社会は貧しく、子どもたちは我慢と忍耐が当たり前の時代だったのだ。