大井川通信

大井川あたりの事ども

釣川浄土(「人と神様」編)

釣川の土手を歩いていると、前から手押し車にもたれて歩いてくるご婦人の姿がある。まずは挨拶と、秋晴れの話。念のため、ヒラトモ様のことを聞く。大井村でも知られていない神様を、ふつうには隣村の人が知るはずはないと思いながら。すると意外なことに、名前だけは知っているという。

彼女は、大井村の出身で、多礼にお嫁に来たのだという。昭和9年生まれで娘時代まで大井で過ごし、しかも力丸家の生まれだそうだ。ムツコさんやヒロシさんなど、僕が聞きとりをした後に亡くなってしまった力丸の人たちの名前を出すと、懐かしそうに良く知っているという。吉田シゲミさんの名前を出すと、とてもいい人で実家の手伝いをよくしてくれたとうれしそうだ。

「よか人たちの話をきかれましたね」と言われると、僕もうれしくなる。ムツコさん直伝の「大井始まった山伏」の話をすると、それは聞いたことがないとのこと。ただし、お母さんが病弱だったために、力丸家の先祖まつり(女まつり)には何度か代理で参加したことがあるそうだ。

力丸家のことを良く調べていただきました、と感謝される。僕は「大井始まった山伏」の手づくり絵本を自宅にお持ちすることを約束する。

もう大井でも話す相手のいなくなった事柄を知っている人に釣川の土手で偶然会えるなんて。僕は、この「奇跡」に胸がいっぱいになって、もう引き返そうかと考えた。しかしこんなめぐりあわせがあったのも、ミロク山の神様に参拝を思い立ったおかげかもしれないと思い直した。それなら、なおのことお礼を言わないといけない。

ミロク山には明治に入って村人により四国の石鎚神社が勧請されており、その信仰が盛んだったために、山頂までの参拝路が舗装道路や石段ですっかり整備されている。鳥居の脇には参拝者用の杖まである。山頂で由緒書など読んでいると、腰の曲がった老夫婦が山道をのぼってくる。ご主人は85歳だとのこと。他地域からの参拝を殊勝と思ってくれたのか、お供え物の蜜柑を一袋いただく。

御利益ばかりではもったいないので、山を下りてから、多礼の老人ホーム「ひさの」に寄って、田中好さんに蜜柑を受け取ってもらった。釣川でも、ミロク山でも、地元の名士だった好さんのお祖父さんの名前を出して、お孫さんの知人ならと信用してもらった経緯もあるのだ。

するとたまたま今日がお祖父さんの誕生日だったということがわかって、何度目かの驚きを味わった。大井川流域には、まだ人と人、人と神様、神様と神様との心地いいつながりが、かろうじて残っているのだ。