大井川通信

大井川あたりの事ども

おなごし(女子衆)さんの思い出

村チャコで会ったワタナベさんを、大井炭鉱の坑口跡に案内することになる。石炭を運んだ道や炭鉱夫の納屋のことなど、大声で説明しながら里山に入っていくと、藪の手間で「くくり罠注意」という表示がある。イノシシのハコ罠なら知っているが、くくり罠を見るのは初めて。仕掛けたのは、表示を見ると旧知のナガイさん。うっかりケガをしかねないので、坑口跡は断念する。

大井川沿いの道まで戻ると、突然、上から「炭鉱のこと良く知っているね」という声がかかる。見上げると、脚立の上で植木をいじっているおじさんだ。行きがけ、僕の説明する声が耳に入っていたのだろう。足をとめて、炭鉱の話をする。

大井炭鉱が終戦直後に掘られたのは、当時の炭鉱開発の補助金目当てで、近在の村でもあちこち声がかかっていたという情報は耳新しい。僕も、労務課長だったハセガワさんのお祖父さんのことや宇部興産のことなどを話す。

炭鉱の入り口近くに住むヨシダさんは、昭和12年生まれ。以前からお話をうかがいたいと思ってはいたが、偶然の出会い頼りの大井川歩き。ようやくご挨拶ができて、こんどゆっくりお話しを聞く約束をする。

ワタナベさんと別れ、モズのはやにえを見るために、田んぼの中の農道を歩いていると、前から散歩中の人の姿が。よく見ると、亡くなったムツコさんの息子さんのリキマルさんだ。挨拶すると「今日は暖かいですね」と一言返してくれる。

フレンドリーな雰囲気に甘えて、少し立ち話をする。多礼で出会ったキヨミさんから聞いた力丸家の奉公人の話が聞きたかったのだ。

リキマルさんは三人の名前をあげて、「おなごしさん」と呼んだ。おそらく「女子衆・おなごしゅう」のことだろう。辞書にも、女中の意味が出ている。

当時は、鹿児島から奉公に来て、お嫁に出す世話までしていたという。キヨミさんの話の通り、ナガイさんのお嫁さんも力丸家のおなごしさんだった。大島にお嫁に行って、今でもお付き合いのある人がいるという。

リキマルさんも懐かしそうだ。子どものころから家にいた女子衆のお姉さんたちは、きっと特別に思い出深い存在なのだろう。