大井川通信

大井川あたりの事ども

ナガイさんの息子さん

村チャコで、ナガイさんの息子さんと話をする。息子さんは、先年亡くなったお母さんの記録を残そうとして、いろいろ調べるうちに、僕の作った手作り絵本「大井始まった山伏」に興味を持ったそうだ。

お母さんは力丸家のおなごしさん(お手伝いさん)をやっていたから、力丸家の歴史を舞台にした絵本も資料となると考えたという。息子さんは18歳まで大井で暮らしていて、その時のいろいろなエピソードを聞かせてくれた。

息子さんは、東京でプログラマーの仕事をしていたそうで、ノートパソコンに詳細な記録をまとめている。ナガイ家や村の暮らしについての作品が出来上がるのが楽しみだけれども、このブログに書いてきたことと関連する限りで、興味深い事実をいくつかメモさせてもらおう。

戦前、幼少のナガイさんは、両親に連れられて、山形の米沢からはるばる大井にやってきている。先に大井に住み着いていた親戚を頼ったのだそうだ。

ナガイさんの奥さんが力丸家に来たのも、先に隣村のモチヤマにお姉さんがおなごしに来ていたからだそうだ。情報の乏しい時代の人の移動は、やはり親族を頼ることが多かったのだろう。

ナガイさんには弟が二人いたが、敗戦の年の昭和20年に、二人ともまだ子どもの時に亡くなっている。一人は里山の中の事故で、もう一人は赤痢で村の避病院で命を落としている。今の近代的な病院の前身は伝染病の避病院だとは聞いていたが、実際にそういう歴史があったのだ。

ナガイ家では、痩せた牛を太らせて売りに出すという商売もしていたという。牛を売買する市場が、今の消防署の所にあったそうだ。

その場所は養蚕業が盛んだったときはカイコの繭を乾かす工場だったのだが、そのあとに家畜の市場に変ったという話を別の人から聞いたことがあった。息子さんの話はそれを裏付けるものだ。

別々の証言や記録がつながって、かつての暮らしや出来事が姿をあらわす瞬間に立ち合えるのが、大井川歩きの醍醐味だと思う。