大井川通信

大井川あたりの事ども

大井で『武蔵野』を読む

大井貯水池の脇の公園で知人と待ち合わせている間に、ベンチで国木田独歩の『武蔵野』を読んだ。自分の生まれ育った武蔵野は、中学の頃からまち歩きをおこなった原点の土地だ。そのわりにこの高名な小説をちゃんと検討したことはない。

いざ読んでみると、独歩の武蔵野歩きと僕の大井川歩きとの間には、意外に共通点があるのに気づく。大井川歩きの立派な参考文献と言えるのだ。

独歩は、同時代の武蔵野の姿に、実際には何もないと思われていた無名の場所に新たな「美」や「詩趣」を見出す。誰もが見過ごしていた「落葉林の美」を高らかにうたい上げる。

大井は、この地域にあってさえ無名の土地だ。そこにあえて物語を読み込もうという大井川歩きは、『武蔵野』の精神にかなうものだろう。

「武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方へゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通じる数千条の路を当もなく歩くことに由て始めて獲られる」

武蔵野の美の発見はいわば「認識論的な革命」といえるが、それは頭の中でできるものでなく、実際に歩き、体験することによってしかなしえない。さすが散歩とまち歩きの大先輩、よくわかっていらっしゃる。

では、歩きながら特にどこに目をつけるべきなのか。ここでも大先輩は慧眼を発揮する。「町はずれ」に注目せよ、と独歩はいう。

そこは「一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈し居る場処」であり「社会の縮図」である。「大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とが此処で落合って、緩かにうずを巻いて居る」のだ。ここには感興を催される「物語」が多く隠れていると独歩は指摘する。

生活と自然、都会と田舎がとがぶつかり渦巻くところとは、かつては一般的な「郊外」の姿だったが、今では生活と都会とにすっかり飲み込まれてしまった。大井では、まだこの生き生きとした渦巻が健在である。大井川流域を歩け、そして書け、とは独歩の示唆でもあるのだ。

公園のベンチでここまで考えるが、知人はなかなか現れない。

ここはかつての大井の枝村の釈迦院で、のどかで自然の多い場所だ。老人施設や障害者施設、そして火葬場が点在するが、こんな美しい陽気の下では桃源郷のようにも思える。先日青色吐息で踏破した高松山の山頂から見下ろされて、武蔵野で生を受けた僕が、この土地で人生を終えてこの場所で煙になることも、受け入れられるような気がした。