大井川通信

大井川あたりの事ども

フィールドノートに通し番号をつける

大井川歩きを本格的に再開するにあたって、以前の聞き取りや調査の資料を整理する必要がある。というと大げさだが、手元には聞き取りなどのときに使った手帳といくらかの資料がたまっているだけだ。

僕は、整理能力も編集能力も、およそ様々な能力と気力に欠けているが、自分の決めたことなら何とか続けていけるという特徴がある。このブログもそうだし、友人との勉強会なども毎月欠かさず行っている。

僕は以前からB6版の小型ノートをメモ用に持ち歩いているが、気づけばこのノートもかなりたまっている。大井川歩きの記録もこの中に埋もれているはずだ。

ノートの表紙には、使い始めと終わりの日付が書いてあるから、時系列にならべて、通し番号を振ってみることにした。これだけの作業でもいろいろなことがわかって面白い。

毎年仕事の予定やメモを記入する手帳は使っているから、それ以外にノートが必要になるのは、仕事以外でまとまった活動を始めたからだろう。

ノートの1冊目は、1998年。仕事がらみで当事者運動のグループに定期的に参加するようになったのがきっかけだ。抽象的な議論のメモが続く。やや空いて、2005年の3冊目からは、バードウォッチングの記録が中心になる。2006年の6冊目以降は、旧炭鉱跡の調査の記録が増えてくる。このころから、ノートの表紙に「フィールドノート」という名称がつけられる。2011年の11冊目からは、演劇ワークショップや観劇のメモがぐっと増える。

2013年の13冊目になって、ようやく大井川歩きでの地元での記録が登場し、現在のノートが21冊目となっている。我ながら意外だったのは、有名建築のスケッチをかなり残していること。鳥や虫の絵も、下手なりに一生懸命描いている。無精者のくせに手書きで何かを残すことが好きなのだろう。