大井川通信

大井川あたりの事ども

月がついてくる話(安部公房生誕100年)

長男を子育て中、幼児だった彼が、自動車の窓から月を見つけて、「どうして月がついてくるの?」と不思議がっていた時期があった。なるほど、窓の景色はどんどん飛び去って行くのに、いつまでも夜空の月は風景を横切って追いすがってくる。

僕も同じような経験があった。実家には自家用車などなかったし、今のように娯楽の機会も多くなかった。お正月の夜、同じ街に住む親せきの家まで歩いていき、お年玉をもらって従兄たちと遊び、御馳走を食べてテレビを見て夜遅く帰ってくるのが、毎年の楽しみな非日常体験の一つだった。

幼い子どもには夜の街を歩く機会なんてめったにない。住宅街の細い道を家族と帰ってくるとき、空高く輝く月が、住宅の軒や庭木の梢をかすって、ずっとついて来るのが不思議で印象に残っている。

安部公房のエッセイ集『笑う月』を読むと、タイトル名のエッセイに興味深い夢の話がかかれていた。安部は子どもの頃から、笑い顔の月に追いかけられる夢を繰り返しみたそうだ。ただこれは空の月ではなく、地面のすぐ上を飛ぶ直径数メートルの笑顔の満月だというのが面白い。これは大人になっても続き、その結末は、あわてて家の駆けこんだときに、月の顔をぐにゃりとドアにはさんでしまう嫌な感触が残るという不気味なものだ。

たぶんあまりに恐怖の感覚が強すぎるためだろう、安部公房はその夢が何に基づくものか推測できないようで、このエッセイはその種明かしなしに終わっている。しかし、第三者からしてみたら、笑う月の恐怖の夢がどんな実体験をもとにしているかは明らかだと思う。そもそも我々の日常生活で、月はついてくるものだからだ。

今日で、安部公房がこの世に生を受けてから100年になる。まだ彼は悪夢の中で、謎の月に追われているのだろうか。