大井川通信

大井川あたりの事ども

安部文範遺稿集『ブラウン氏のおもいで』について(総括編)

行橋の宮田さんに、かつての東京の同人誌仲間の分を預け、その足で小倉のギャラリーソープで外田さんに会って美術関係者の分をまとめてあずけた。

そうすると後気になるのは、福岡方面への配布だ。これは安部さんが生前通った屋根裏貘のマスターがこころよく応じてくれた。店に来た知り合いに渡してくれるという。

これでもモレはあるだろうが、ひとまず肩の荷が下りた気がする。実質半年程度だったが、ようやくこれで文集にまつわる作業にケリがつきそうだ。現時点での感想をメモしておこう。

いろいろ大変なこともあったが、亡くなった人への奉仕というものは気持ちよいものだと感じた。はじめから見返りを期待できないことが分かっているから、純粋に奉仕の作業に心を砕くことができる。

一方、文集を配る段階になると、相手も生きた人間である。どうしても見返りを求める心が発動してしまって落ち着かなくなった。この点でいうと、今回の文集をきっかけに僕の知らない安部さんの友人知人との間に何らかの接点が生まれるのではないか、という期待のようなものがあった。

ところがそんなことは起きるはずもなかった。文集をめぐってやりとりができたのは、僕との間に過去にしっかりとした交流がある人たちだけだった。未知の人たちにそれを求めるのは筋違いだろう。

文集をつくる過程で、これが安部さんのミニ追悼装置(ポータブル仏壇)のようなものになったらというアイデアが浮かんでいたが、外田さんの協力によってちょうどそれにふさわしいものができたと思う。

巻頭に素晴らしい遺影があり、安部さんを象徴する四つの柱(文学、美術、映画、生活思想)の文章が並んでいる。どれも短文で珠玉の安部節だから、安部さんを偲んで朗読してもらっていい。最後には安部さんの略年譜で人生を回顧し、安部さんの辞世の言葉(とみなせるもの)を胸に収めることができる。安部さんの人生が完結したことに納得し、追悼の気持ちをささげることができる構成になっていると思う。

他者たちの追悼の力が現世でのその人の命脈をつなぐのだとしたら、この文集のために安部さんの魂はいくらか長くこの世にとどまることになるだろう。そのことがうれしい。