大井川通信

大井川あたりの事ども

70代をディスってしまう

よく年齢で一回り違うという言い方をするが、10年ひと昔というたとえもある通り、世代の違いを10歳くらいの年齢差でみるのはたしかにわかりやすい。

30年以上離れると親世代とか大御所世代になるが、20歳の違いは「先生」世代ということになる。10歳の違いは「先輩」世代だろうか。1961年生まれで「新人類世代」の僕にとっては、10歳+アルファの先輩たちは学生運動の経験があって文化的にもはっきりと断層がある感じだ。

この先輩世代の安部さんの遺稿集の作成が一つのきっかけにもなって、この世代の人達と顔を合わせる機会が増えたが、彼らに対して今までになくきつい言い方をしてしまったのは、自分でも意外だった。

先輩世代は、上下関係の意識が強く、自己主張が強い世代だから、長いこと僕も遠慮して立ててきたところがある。自分も60代に入って社会的責任も軽くなり、この先我慢ばかりをしていてもしょうがないと思うようになったためかもしれない。70代に入り社会からリタイアした彼らの衰えに乗じた、という側面もあるだろう。

まずは、村の賢人原田さんに対して。詩を食べる店を全国展開すると意欲満々の賢人に、今の若い世代には一方的に話してはダメで、まずは相手の話を聞いてあげなければと釘をさす。賢人のすごさを持ち上げつつ、その反面他者への根本的な無関心を指摘してしまう。賢人もさすがに不満そう。

2年ぶりに親しい職場の先輩とカフェで会う。かつての仕事の武勇伝を話しがちになる彼に、その仕事ぶりは秀逸でも、やはり肩書と組織が前提だったでしょうと、いままで封印していた毒を吐いてしまった。最後まで組織の中で自分の好きな仕事をしてきたことは幸運で立派ではあっても、今は肩書なしに徒手空拳で地域にかかわっていくべきではないかと。いまさらそれはできないと彼は力なく笑う。

その帰り道、かつて安部さんの盟友だった人から文集のお礼の電話がある。誤解かもしれないが少しお酒の入っているような様子にいら立って、話の途中で、そこは笑うところではない、ときつく返してしまう。20年前の議論のくりかえしなのに、上から目線なのが鼻についたのだ。年表をみてください、安部さんはそのあとこれだけのことをやってきたのですよと。最後にはお互い和解を取り繕って電話を切る。

賢人は例外中の例外だが、70代の前半になって、前向きに活動を続けることは実際には難しいだろう。身体だけではなく知力の衰えもある。僕自身、10年後に今のような姿勢を保ち続けていられるだろうか。彼らへの批判は、遠からず自分自身にもかえってくるものだ。