安部さんについてはこのブログでもいくつか記事を書いてきたが、そこで触れていなくて最近になって気づいたことがある。とても重要な点なのに今まで思い至らなかったのだ。
安部さんは社交家でパーティー好きでおしゃべりな面も目立っていたが、自分自身にとって大切な経験の部分では徹底して沈黙を守った人だった。
学生運動を経験した世代の人は、それを武勇伝のように雄弁に語る人もいる。自分の人生の決定的な分岐点だったと重々しく語る人もいる。安部さんは、かなりハードな経験をしているはずなのだが、学生運動についてはまったく語ることはなかった。僕はある偶然のきっかけで間接的にそのことを知ったのだが、そうでなかったら安部さんが学生運動にかかわっていたかどうかすら知らないままに終わっていただろう。
また性をめぐる経験についても、まったく話題になることはなかった。思想や芸術の文脈で安部さんの考えを聞くことはあっても、自身の経験に触れるような言葉を聞くことは一度もなかった。25年のつきあいのなかでそうだった。
このことにもっと早く気づくべきだと思えたのは、2000年前後に僕がとある当事者グループと安部さんとの関係を身近に見聞きしていたからだ。安部さんはそのグループにかなりのめりこんで、結果的に大きな傷を負った。
しかし、その共通体験をもっている僕に対しても、そのことの不満やグループへの批判は一切口にすることはなかった。僕の方から話題に出すときだけにようやく、あそこで得たものは大切なものだったという肯定の言葉を短く話すのみだったのだ。
今回の遺稿集を渡すためにその当事者グループのリーダーと久しぶりに話したときに、安部さんの態度がいかに特異なものであるかに思い至った。そのリーダーは安部さんを含む他メンバーへの評価を無遠慮に口にしたし、当然のように当時のままの議論を繰り返してみせた。しかしそれがごく当たり前の人間の態度だと思う。
その当事者グループとの決別のあとの20年近い沈黙を経て、安部さんから一対一の場で提示されたのが「受けいれる勁さ」という短いレジュメだ。あれ以来考えてきたことだから、と安部さんは言ったが、行きがかり上、僕に話すしかなかったのだと思う。
安部さんの本領は、体験を徹底した沈黙で守り抜く力だったのだと今は思う。饒舌はそれを包み隠すオブラートにすぎなかったのかもしれない。