大井川通信

大井川あたりの事ども

西原春夫先生の思い出

昨年ネットで、たまたま西原先生の動画を見つけて、懐かしかった。80代の半ばをすぎての講演のはずなのに、情熱をもって高邁な政治思想について語る姿に驚かされた。ところが今年の1月になって、西原先生の訃報に接することになる。

僕が入学したころの早稲田の法学部の教育内容は、とても期待通りのものとは言えなかった。教授三流と揶揄されていたが、若い学生の知的関心には対応できない講義が多かった。司法試験を目指すのものは、サークルや予備校で独自に学んでいたと思う。

その中で西原春夫先生は、学会で通用する業績をもち、大教室の講義でも、学生の関心を引き付けるはつらつとした魅力をもっていた。

僕の手元には、大学時代の法律学の教科書は一冊しか残っていないが、それは西原先生の『刑法総論』だ。本の扉に、先生の似顔絵を描いているのは、親しみの現れだろう。専門書ではあるが、文体や内容に先生らしい独自のカラーがあって、思想書のようにも思えていた。

僕が単位を取ったのは、大学2年の一年間(1981年度)で、まだ法律学を学ぶ情熱を多少もっていた時だ。大学2年には鎌田薫先生の民法のゼミに入って、物権変動をめぐる長めのレポートを書いたりもしていた。大学三年の初めには、今村仁司先生との出会いがあって、大学後半は当時流行の現代思想と地元での地域活動に関心を移すことになる。

『早稲田の社よ永遠に』(1995)は、西原先生の回顧録的なエッセイだが、それによると当時先生は、早稲田の不正入試事件の事後処理に忙殺されており、翌1982年には大学の総長選への出馬を余儀なくされるという大変な時期だった。

この本を久しぶりに読み直してから、先生が一年くらい前に受けた長時間インタビューの動画を見て、かつての講義を思い出し、すっかり先生の人柄と思想に魅了されてしまった。動画ではすでに94歳になるのに、知的な面で全くの衰えが感じられない。それどころか40年前の講義の姿勢から変わらずに、老境にいたっても大きく歩みを続けている。

昭和3年(1928年)生まれの戦中派の志を曲げることなく、世の大勢の中を悠々を歩んでいる印象がある。若いころに僕が影響を受けた尖った思想家たちとはまったく違うタイプだが、どこか子供のような無邪気さと大人(たいじん)の風格を併せ持っている。

西原先生の姿と言葉に久しぶりに触れて、退職後のもやもやが吹っ切れたように、明るい気持ちになれた。

先生への学恩に深く感謝し、冥福をお祈りしたい。