大井川通信

大井川あたりの事ども

道玄坂の100年

父親は渋谷道玄坂の生まれだ。誕生日が大正13年(1923年)の3月18日だから、今日でちょうど満100歳となる。亡くなったのは2006年で82歳の時だったが、今年は生誕100年のお祝いをしようと姉と話していた。

夏目漱石の『夢十夜』の第一夜に、100年経ったら会いに来ますという言葉を信じて女の墓の前で待ち続けた男のもとに、100年目に白い百合の花が咲くというエピソードがある。100年というのは、大方の人間にとってぎりぎり手の届かない時間幅だから、永遠へと開かれているイメージがある。だから、どこかロマンティックな思いを誘うのだろう。今は100歳を迎える人も珍しくないが、100年前の記憶を持っている人はまれだ。

昨年の9月は関東大震災100年が話題になっていたが、祖母は父親がお腹にいた状態で被災し逃げ惑ったそうだ。出生は道玄坂だが、戦前の間に家族は何回か転居したらしい。姉の都合で、埼玉の金子にある霊園へのお墓参りが前日の17日となったので、100年目の今日は、渋谷道玄坂に行ってみることにした。

今の渋谷は大改造中で、駅は迷路のようだ。なんとかハチ公口を見つけ、外国人観光客が歓声をあげるスクランブル交差点を渡り、有名な109ビルの左側を過ぎると、交通量の多い道玄坂の上りがゆるやかなカーブを描いている。父親が生まれた頃は東京の西のはずれの郊外だったはずだが、今ではその頃の面影はまったくないだろう。

僕は、坂を見下ろすビルのカフェに入って、コーヒーを飲む。大震災を乗り越えて生まれた父が、戦争の時代をかろうじて生き延びて、敗戦後の日本でしぶとく生きてくれたおかげで、僕がこの世に存在することができたのだろう。渋谷にあふれる人の波を見ながら、この中に父のことを知る人が(僕以外)誰もいないということを、当たり前でありながらとても不思議なことのように思って、ぼんやりしていた。