大井川通信

大井川あたりの事ども

くりばやしの餃子に歓喜する

僕には食へのこだわりはほとんどない。こだわってもせいぜいB級グルメで、それもごく少数だからすでにネタは尽きている。そう思っていた。

時は35年前にさかのぼる。僕は新採で入った会社を辞めて実家に戻り、八王子で塾講師をやっていた。父親はリーカーミシンを定年退職し、知り合いのつてで大國魂神社の駐車場の管理の仕事をしていた。

大國魂神社の参道にはケヤキ並木が続いていたが、道の東側には狭苦しい商店街の路地が広がっていた。その中に持ち帰り餃子の専門店があった。僕は父に教えてもらって、たちまち気に入ってしまった。とびきり大きな餃子に旨味のあるアンがぎっしり詰まっていて皮がもちもちなのだ。

姉の記憶では、父がお土産に買ってくることもあるくらいお気に入りだったそうだ。また、ある時父はその餃子を食べさせる店で待たされるか何かで怒ってしまい、それで持ち帰りの店にも気まずくて行けなくなってしまったという。以後は母に買うのを頼んでいたらしい。

このエピソードは少し釈然としないところがある。ネット情報を見ると、たしかに府中には少し離れた場所に同系列の中華料理店があったようだが、仮に父親がそこに入りづらくなっても、別店舗の持ち帰り店の利用は支障がなかったはずだ。おそらく、父親が怒ってしまったのは、持ち帰り店の方の順番待ちか何かが原因ではなかったのか。

この父親のエピソードは、僕には少し安心できるものだった。若いころとても短気だった父は、老年に入るとすいぶん穏やかになったように見えた。父親の短気を引き継いだ僕は、今でもカッとなって怒りをコントロールできないことがある。あの父親だって穏やかになったのに、と残念に思っていた。

ところが姉から聞いた話では、父親が餃子のお店で怒ってしまったのは、ちょうど定年後の僕くらいの年齢の時だ。親父よ、やっぱりそうか。今からでも「老害」を治すことができれば、父親に後れをとる事態はさけることができる。がんばろう。

閑話休題。1990年に僕は福岡で就職して東京を去り、その6年後の府中伊勢丹の開店にともなって商店街の再開発が行われたから、僕の認識では餃子のお店は閉店したものとばかり思っていた。隣町とはいえ帰省の時に出かける用事も多くはないから、餃子のことはすっかり忘れていたのだ。

今回、姉と国立駅前で待ち合わせて、そのあと府中の美術館にでかけようという話になった。バスの道中の会話で、偶然餃子の話題になって、あの餃子のお店が新しい商業ビルに入っていることを教えられた。なんでそんな重要なことをと思ったが、姉にしても新店舗を発見したのは比較的近年のようだし、そもそも僕が好きだったことも知らなかっただろう。

もう店名などは忘れていたが、ガラスケースごしのまぶしい姿は間違えようがない。口に広がる触感とうま味、ニンニクの香りはまさに思い出そのままだ。ネットでみると「くりばやしの餃子」は府中市民のソウルフードとして、70年にわたって地元で愛され続けてきたらしい。

うかつだった。こんなとてつもなく旨いものを食べる機会を逃し続けてきたとは。お土産を父親の仏壇に供えると、なんだか父親もうれしそうだ。これ、これ、と。