大井川通信

大井川あたりの事ども

午後5時15分

職場をフライング気味に出て、連絡のいい快速電車にのると、一時間もかからずに家に帰宅することができる。

住宅街の入り口のババウラ池の近くまで歩いてきて、ふと時計を見ると、午後5時15分の表示が出ていた。この時刻には見覚えがある。

父親がリーカーミシン立川工場に勤務しているとき、帰宅する時刻が決まって5時15分だった。5時に退社して、三キロの道のりを自転車で走り家に着くのがその時刻だったのだろう。

今から思えば、残業等も多くはなくて定時で帰れる仕事だったようで、寄り道などはめったにしなかった。そして家族の夕食の時間には、職場の話をことこまかにするのが父の習慣だった。「資材課」という部署の仕事や人間関係の話をよく聞いた記憶がある。

この父親の帰宅時間というのが、僕たち姉弟にとっては重大問題だった。テレビが最大の娯楽だった時代で、家のチャンネル権は気難しい父親が握っていたから、父の意にそわない番組など見ることはできない。この番組がみたい、と交渉する雰囲気などなかった気がする。

ところが、学校から帰宅して、父の帰宅時間までの間は、好きなテレビ番組を見ることができたのだ。特に4時台には、ドラマや時代劇の再放送が流れていて、子どもの頃の自由で楽しいテレビの視聴体験はこの時間に集中していた。夏休みの子ども番組の再放送もそうだったけれど。

5時15分が近づくと、遠くから、姿勢がよく肩幅の広い父親の自転車姿が見えてくる。偶然見かけることもあれば、わざとどこかで「待ち伏せ」して喜ばせたこともあった。そんなとき、僕は自然の感情でそうしたのではなく、無意識のうちに家族内の強者にこびへつらっていたのだろうと思う。

そんなことを思い出しながら、5時15分に数分遅れて家に戻った。