大井川通信

大井川あたりの事ども

夢野久作の聖地へ

仕事の帰りに九産大前の駅で降りる。夕立はあがったが、気温は下がらず、べとべとと湿気を含んだ空気が身体にまとわりつく。携帯で話しながら歩く男の怪しげな言葉が耳に入る。「唐原は高周波暴露にやられていているようだ。昨日から星がチカチカしてみえる」 なんだそれ。

踏切をすぎて坂を上がるすぐに唐原東公園。昔長男を遊ばせていた遊具がそのままだ。斜面の住宅街の路地に入るとすぐに夢野久作の旧宅跡地にたどりついた。病院の作業所入口の表示のついた金網が張られているが、足元に古い巨大な切り株がある。久作の生活を見守った木だったのだろう。

僕の住んでいたアパートからも数百メートルの距離しかない。公園からは目と鼻の先の場所だ。『ドグラマグラ』がこんな身近な場所で執筆されていたとは。跡地の隣の大きな屋敷には、僕と同じ苗字の表札がかかっていて、変な気分になる。

僕の次男は赤ちゃんのときに久作の次男の三苫先生に抱いてあやしてもらったことがあるが、長男も幼児の頃遊んだ唐原の公園を通じて久作との縁を持っていたのだ。

久作の経営した杉山農園は何万坪もあったというが、背後のゴルフ場はともかく、丘陵の並びに新宗教の聖殿と精神科の病院ができているのは、偶然だろうがいかにも夢野久作の「聖地」らしい。

病院脇の細い道を下って旧国道へ。今は無くなったがこの辺りのスーパーに家族が毎日のように買い物に来ていた。30年近くまえから気になっていたハローという食堂に入って、汗をぬぐう。窓越しに唐原の丘陵を見ながら、鶏定食を食べる。