大井川通信

大井川あたりの事ども

八ちゃんの命日

今日は八ちゃんの命日だから、切り花と魚の缶詰を買ってきて、「仏壇」に備えた。「仏壇」といっても、テレビ台の棚の一角に、八ちゃんの骨壺(きれいな布の袋に包まれ、八ちゃんの写真が貼られている)と、八ちゃんに見立てた猫のぬいぐるみが置かれたコーナーがあるのだ。妻がエサと水とを欠かさない。

八ちゃんの亡くなったあと、家にやってきた九太郎が一人でしばらく平穏な暮らしをしていた。九太郎は、八ちゃんのように派手な夜の運動会をしたり、一人で誰もいない二階に上がってバタバタとペットボトルのフタで遊んだりもしない。机や棚に上がって、前足でひょいひょいと目についたものを落としてしまったりもしない。

八ちゃんがいたときには、覚悟を決めた妻が整理をして、机からも棚からもすっかり小物がなくなった。猫のおかげで部屋が整理されるというパターンだ。しかし、九太郎は机の上のどんな小物もよけて落とすことはないから、机も棚もすっかり元に戻ってしまった。

今年に入って、ぼんちゃんがやってきたから、九太郎の生活は一変した。生まれて二か月で我が家に来て、ずっと猫一匹の生活にまどろんできたのだから無理もない。はー、ふー、と威嚇する。追いかけまわして、追いかけられる。取っ組み合いのけんかをする。すっかり人が、いや猫が変わってしまって、表情も殺伐として、家族にもかみつくようになってしまった。

その後数ヶ月かけて、ゆっくり慣れてきて、ようやく最近になって、親し気なそぶりをたまには見せるようになった。もともとぼんちゃんの方は興味津々なのだが、九太郎の方がつれなく、殺気立っていたのだ。

九太郎は、人に鼻を押し付けてくる甘えるような仕草を見せることがあるのだが、ぼんちゃんに対してそれを行い、ぼんちゃんがそれに応じるような場面をようやく目撃するようになった。九太郎の表情もだいぶ穏やかになった気がする。

それでも、二匹で追いかけっこをすることには変わらない。一匹の時は走ることすらしなかった。健康にもいいし、きっと楽しいだろう。

猫たちのバタバタ足り回る音に、八ちゃんの足音が混じっているような気がすることがある。捨て猫だった八ちゃんには、この家以外行くところはない。仲間が増えたことで、きっと八ちゃんも喜んでいるだろう。