大井川通信

大井川あたりの事ども

児童画との出会い

僕が新入社員の販売実習をしていた時、くたびれはてると、テリトリー内の公園のベンチを休憩所にしていた。常に周囲からセールスマンとして見られているという事だけでも重圧なのに、自らセールスマンとして積極的にふるまわなければならない。ノルマの圧力もある。言い知れぬ圧迫感におそわれた時など「平和な」住宅街が「地獄」に見えたこともある。

同じ街も住人としての立場でいるのと、セールスマンとして歩くのとでは全く異質な空間に変わりうる、というのは新鮮な発見だった。しかもいろいろな人間に働きかけなければいけないから、いやがおうでも他者の主体的な立場の違いに注意を向けることとなり、ただ一つの現実(空間)ではなく、無数の現実(空間)を一つの街に読み込んでいたように思う。

そんな中でであった異質な空間の一つが「子どもたち」だった。小学校一年くらいの女の子たちが中心のグループだったが、僕が手品を見せたことがきっかけとなって、急に親しくなってしまい、ほとんど毎日いっしょに遊ぶようになった。

大人にとって、遊んでいる子どもたちなど風景の一部にすぎないし、子どもたちにとっては大人の姿など全く目に入っていないかのようである。同じ公園にいたとしても、両者の場は全くすれ違っているのだ。いっしょに遊ぶようになって気づいたのだが、いったんこの垣根を越えて子どもグループの準会員として認められると、もはや僕は彼らにとって「大人」ではなく「子ども」なのだ。どんな遠くからでも目ざとく見つけ、寄ってきてはカバンを奪い取って逃げたりする。

僕はかまうのが面倒なときには、子どもに絵を描かせてみた。これがきっかけで『児童画のロゴス』という本を読んでみて、その中の記述と自分の体験との符号にびっくりさせられる、ということが起きた。

子どもたちの中に一人とてもおとなしい女の子がいて、その子はペンを渡すと同学年の誰よりも上手な絵を念入りに描いてくれる。それから2、3日して読んだその本に次のような記述を見つけたのだ。

 

「ふつう7歳前後のあたりから、子どもは画面の中に「基底線」を導入する。ある場合は用紙の縁をそれに見立てることもあるが、そうでなければ画面に一本の線を引き、人や家や木や動物を、すべてそこから直立させる。このことは、事物が存在するためには、存在するための場所を必要とすることを自覚したものであって、それ故にそれは空間の、最初の発見だと言ってよい」(『児童画のロゴス』鬼丸吉弘  P53)

 

両者の一致からは、その場での驚きにとどまらず、その後何度となく思い返される程の強い印象を受けた。まず、全く偶然にすぎない出来事が、あらかじめ仕組まれ予言されていたことであるかのように思われて、意外さと同時に何か恐ろしい感じがしたのは確かだ。

学問の力というのはやはりすごい、という感想を何度か人にもらしたのを覚えている。符号の見事さとともに、なにげなく消えていく日常の一コマに明確な照明をあて、はっきりとした意味を与えてくれたことに対する喜びもあったように思う。

ところで、「空間の最初の発見」というこの著者の「基底線」解釈は、また別のことを僕に考えさせた。

僕たちは、この世のしがらみにがんじがらめにされて、保険のセールスなんかに走り回っているのだけれども、この子どもたちは、まだこの秩序やしがらみの以前にいて、今ようやく「空間の発見」に行き着いたばかりなのだ、という驚き。

僕たちも結局は、「大人」の目によってしか、つまり「子ども」としてしか彼らを見ていなくて、彼らの前に実際に展開されている世界は、僕らの想像もつかないものなのだ、とう恐れにも似た気持ち。

それらと同時に、彼らの「成長」が、僕らのしがらみや秩序に同化していく過程なのだという発見もあった。(1985・2・18)

 

※久しぶりに児童画についての本を面白く読んで、自分の児童画との出会いを思い出した。僕が、23歳の時、社会人一年目に書いた文章。残念ながら、この時から児童画との関わりだけでなく、文章力も思索力もたいして進歩してはいないようだ。